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自分に正しさを語ると人は幸せになれない

100日ノート部は残り91日です

今日も質問が来ました

その質問に応えながら

感情と向き合う事を諦めないで欲しいと願う私です


自分に正しさを語ると人は幸せになれない


どうしても私たち日本人は

「正しさ」

というものが先にでやすい

でも、その正しさって何なんだろうって思うんです

その正しさは、なんの正しさですか?

正しさって

その人が持っている基準を話されていることが往々にあると感じます

例えば

お母さんがお子さんに

「こうすることが正しいのよ~」

と子供に無意識で語り続けると

「あれっそうか、自分はこう思っていたけど、そうしないといけないのか...」

という思考への刷り込みが始まります

でも、それはお母さんの基準であって

子供が感じていること、こうしようと思ったことにストップをかける

魔法の言葉じゃないですか?

たしかに社会という大きなくくりの中ではモラル(倫理)はあります

モラルと正しさは違うものではないですか?

このモラルと正しさの違いは微妙過ぎて、明確に語るのは難しいと思います

家庭は社会生活の縮図です

家庭でのモラルが社会でのモラルになります

だからこそ、注意しなければならない事は

意見を聞くという事です

意見を聞き入れる広い心を持つこと

意見を言える環境を作ること

親子でも

一個人としての意見を言うのは自由です

しかし、それを押し付けるのは違いますよね

正しさは、間違えると凶器になると感じています

正しさという言葉は見えない紐のようなもの

自分を縛り付ける見えないアイテムです

何もできない

何もさせない

考えさせない

動かそうとさせない

日本人には正しさと言うのが

空気のような存在なので無意識に刷り込まれています

あなたにその正しさを与えたのはあなたですか?

正しさを語っているあなたは気持ちが良いですか?

なんだか窮屈な感じがしますか?

なんだか不自由さを感じているなら

あなたの中にある正しさが

あなたの自由な心を縛り付けているかもしれません

正しさと正義が混同しているように見えるのです

想いは自由です

何かを傷つけるやり方は自由ではなく傲慢です

この自由と傲慢を履き違えないようにしないといけませんね

自由は誰かを喜ばせることに繋がります

傲慢は自分だけを喜ばせるのです

正しさを振りかざすのは傲慢だと思います

賛否両論あってよし

でも、ここ最近の正しさという言葉...

その正しさゆえに

生きずらさを感じている人も多いのではないかと思うのです

正しさからは幸せは生まれませんから...



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