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『万全な準備』

万全な準備をして臨みたいと思う。準備万端一点の曇りもない安心な状態で挑戦したいと思う。
叶わないと思ってはいても、ついそう願うのが人間の性なのだろう。いつか来る準備万端な自分を夢想し、「少なくとも今日ではない」と先延ばしにする。そんなこんなで月日が流れる。

そもそもここで言う準備万端な状態とはどんな状態だろうか。色々と言葉を尽くしたとしても、要するに「不安にならない安心な状態」ということに違いない。
とすれば、「安心な状態で挑戦したい」という矛盾どころか一種倒錯した感情が浮かび上がる。そこまで換言すればやっと虫のいい意見だと分かるが、中々日々生きていると気づかない。慎重派、現実派、リアリスト…そんな言葉で自分を丸め込んでしまう。

金融の世界では、リスクに見合ったリターンという言い方がある。高いリスクに対しては高いリターンを求める。ここで言うところのリスクは「損失」ではなく、「不確実性」を指す。損失の対価ではなく、不確実性の対価・果実としてリターンがあるのだ。とすると、不確実性に賭けるとは、上がることも下がることもあり得る渾然とした不分明な状態に自らを置くことに他ならない。
そのような前提に立つと、不確実性に賭けるとは、曖昧とした状態の中で(51対49といったレベルの)片方に賭けられる不確実性を自ら作り出し・生み出していくことだ。それは間違っても、100対0にいつか身が置かれるのを待つことではあり得ない。

50対50に均衡する秤に、頭脳を振り絞り小さな芥子粒を載せてゆく。そうして秤の傾く行く末を、些細な動きを見極める。
不確実性に賭ける『準備』はその瞬間に訪れるものなのだ。

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