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大きな悩みをぶつける〜実践的な悩みの対処法〜
悩みにはたくさんの種類がある。恋愛や仕事、或いは小さな人間関係で私たちは簡単に疲弊する。友人から嫌われたかもしれない、自分は評価されていないかもしれない…笑ってしまうほどの忙しなさで、日々大なり小なり私たちは悩んでいる(と思う、少なくとも私はそう)。
もしも悩みがないとすれば、それは心底羨ましいことだが、今考えたいのは悩んでしまう私やあなたに向けて「どんな手があるのか」だ。
その方法として、私は「小さな悩みに、大きな悩みをぶつけること」を提案する。奇怪なアイデアな気もするが、実は真っ当ではないかと私は思っている。
その前に、悩みの対処という観点で世の中の様々なアプローチを見てみよう。
加えて、悩みという言葉だけではなかなか具体化しづらいので、ここではありふれた人間関係を取り上げよう。例えば、Aさんはいい感じだと思っていた、気になっている人から連絡が最近来なくなったことを不安に思っている、としよう。
世の中の悩みのアプローチ
①「小さなことにくよくよするな」方式
これは中々に腹立たしい方式である。君が悩んでいることは小さなことだ!と押し付けてくるアプローチだ。この方式でAさんを慰めるならば、「連絡が来なくなっただけで何をくよくよしているの?(何が決まったわけでもないでしょ?)」という具合だろうか。悩んでいる最中に聞かされれば、殺意が湧くようなアプローチであろう。
それでも歩み寄って敷衍すれば、悩みの対象を小さくすることで対処しようとしていると言えるだろう。この方式の欠点は「それができれば苦労はしない」ということであり、寧ろ悩みが小さいと思えるならば、そもそも悩みはほぼ解決しているだろう。
②「人に期待するな、寧ろ期待するお前が悪い」方式
これも良く聞く方法だ。人に期待しないように、「期待している自分が悪い」。寧ろそんなふうに過剰に期待しないようにしよう、とするアプローチだ。この方法でAさんを慰めるならば、「あなたが気になっていても相手がどうかは分からないよ、思い過ごしじゃない?」ということになる。
一見クールで大人びたアイデアに思えるが、これは事後的なアプローチであることに注意したい。つまり、「何が過剰な期待であったか」は「悩みが発生したこと」から遡って構成されているのだ。ざっくり言えば、「そんなに悩むなんて、あなたが期待しすぎていたんじゃない?」という順序になっている。この方式の欠点は、何が過剰なのかは追ってしか分からないので、常に(可能な限り)過剰な期待をしないように震えていなければならないことだ。
クールな割にリアルに実践すると、汲々として情けない人間が完成しそうだ。
これも敷衍すれば、悩みの対象には手を加えず、悩む側から「悩むべき対象を狭めるように」要請しているといえる。
まとめると、①は悩みの対象アプローチ、②悩みの主体アプローチということになる。このいずれもに共通するのは、悩みを持つことが何か悪いことのように捉えているということがある。
私はこのいずれのアプローチにも与しない。悩みを持つことを否定されても、悩んでしまうことは否定できないからだ。残念ながら、悩む自分を肯定せざるを得ない。悩みを狭めることができれば、とうにそうしている。
では、どうするか。
2.悩みをぶつける
私が提案する方法は、大きな悩みを小さな悩みにぶつけるというものだ。
ここでいう大きい、小さいというのは①で述べた対象アプローチにいうような、悩みを狭めるようなテクニックではない。どういうことか。
私の考える大きな悩みとは、「笑ってしまうような壮大な悩み」だ。時間とは何か、人生とは何か。社会は平等と言えるのか、といったような。自分の存在が卑小になってしまうような、なるべく大きい悩みが望ましい。
そんな悩みに悩めない、という声も聞こえてきそうだが、そこを一つ忍耐して悩んでみてほしい。
自分の存在が卑小になることに加えて、できれば「社会に開かれる悩み」が望ましい。考えることで、社会が良くなることに悩むのだ。これが「大きな悩みをぶつけるアプローチ」である。
これは、対象アプローチ、主体アプローチいずれとも違う対処法を示している。この方法をもって、Aさんに声をかけるならば、「そんなことより、人生って何のためにあるんだろうね?」という具合だ。
1で見たアプローチはある意味で悩みに真剣に向き合っているがゆえに、悩む自分を肯定できなかった。それは主体、対象のいずれかを誤っているとみなすことに他ならない。このアプローチは、悩みに対処するのではなく、寧ろ「悩みを増やす」。極限まで多くの悩みに悩むことで、時間が経てば解決する問題(ほとんどの問題はそうだ)を先送りにするアプローチだ。
こんなのは対処法ではない、という声も聞こえてきそうだが、そういう人にはこう答えたい。「これは処世術だ」と。
小さな悩みに目を逸らしながら、もしかしたら誰かのためになる悩みを悩もう。そうすれば誰かのためになれるかもしれない。
大きな悩みを沢山悩んで、小さな悩みが解決する瞬間を忍耐強く待とう。
標語的にいえば、こんな具合だろうか。
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