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そもそも抑論 /小国高校編

ぼくは世の中の〈そもそも〉を知りたいという思いを、子どもの頃から抱いていました。

世の中には、〈そもそも〉なにかをはじめた専門家やエライ人と呼ばれる人がいて、普通の人も、世の中のためになる発明をした人もいる。その中には自分のことだけを考えて、そもそもを打ち出す人もいる。

〈そもそも〉は、その人にしかわからない発見からはじまる。だからそのそもそもは、その人に直接聞かないとわからない。訪ねていって聴かせてもらわなきゃわかんない。だからぼくは子どもの頃から、テレビの中で他人を評する評論家や立場ある人の曖昧な言動を理解することができませんでした。

「で?そもそもそれって誰が何のために言い出したんだ?」とね。

山形県小国町(おぐにまち)の県立小国高校は、「全国の高校生ともっと話したい!」という高校生の思いから『全国高等学校小規模校サミット』を始めました。


「自分たちの町に全国の高校生を呼ぼう!」


その取り組みが『第6回 SCHシンポジウム(スーパー・コミュニティ・ハイスクール)』という場で発表された。ここには、全国から山形へ多くの人がやってくる。高校生をはじめ、教諭、教育と地域の連携を模索する自治体職員など、高校生を主役に地域を応援したい人たちが集まる、年に一度の2日間(若い世代が若い世代に向けたシンポジウム。主催は東北芸術工科大学のコミュニティデザイン学科の学生たち)。

彼らの言動はどれも「そもそも……だよね」が前提にある。高校生活、地域、家族、友人、社会、将来や過去。そういう事情に向き合うために必要な〈そもそも〉が、高校生の一番の魅力。

一方で、〈当たり前の毎日〉に忙殺され、そもそもを忘れてしまった大人たちは、地域に飛び出す高校生に「なぜなに?」を問い続ける。でもそれじゃあ、そもそもは共有できない。自分自身のそもそもを見つけなければ、対話という土俵に上がれない。

高校生たちは、そんな大人をよそにあれこれ考え議論を重ね交流を深めていく。「そもそも私たちは……」と。

都市と田舎、百貨店と商店街、大人と子ども、男と女、科学と自然、金持ちと貧乏、ダークとフォース、宇宙と地球、白と黒、アレとコレ、ボクとキミ……。森羅万象、古き良き、大小左右、上と下、すべての生まれはそもそも同じ。

「それとこれとは話は別だよ、やれやれまったくまたかっくん」「きっかけはどうあれ、いまが大事なんだよ、やれやれまったくまたかっくん」

子どもの頃からそう言われ続けてきたぼくのそもそも論は、今でもなかなか理解されない。それはそもそも理解してもらうかどうかじゃなくて、君はきみで僕はぼく、という考えを共有できないから。対立と融和もろとも受け入れる度量が、あるかどうかの話をしたいだけ


やっぱりあちこち訪ねるところから始めるのがよさそう。伝言ゲームのような関係はもういいや。ぼくのそもそもは、まだまだ続きそうです。

✳︎「文科省」「魅力化」、でググってみると......魅力ある学校づくり、学校教育魅力化、地域魅力化型、県立高校魅力化ビジョン、高校魅力化事業、高校魅力化コーディネーターなどなど、今まで魅力がなかったのか!?と、疑ってしまいそうになるほど「魅力」という言葉がジャンジャン出てくる。子どもたちはいつだって魅力的だぜ

✳︎写真は数年前の雪の小国町とレガシー。