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俺ガイル考察マッピング

はじめに

刊行宣言でも書いた通り、われわれの多くは個々人で『俺ガイル』に関する考察・エッセイ・小説をネットですでに公開している。
「作品そのものへ!」を志向し、内容分析の重要さを謳うわれわれとしては、既存の記事も大いに参照していただきたい。もちろん、ここに書かれたのがすべてではない。インターネットという広大な海には、たくさんの記事が存在する。
とはいえ、ひとまず指針を示さないことには何も始まらない。よってここに、そのための〈地図〉を示す。
〈地図〉とは、もとのサイズを縮小して全体を大掴みにしやすくする試みである。だが当然、そこに実る成果までも縮減してしまうわけではない。ここに示されたそれぞれの〈島〉にリンクしたその先に、雄大な景色が広がっていることだろう。
いざ、果てしない『俺ガイル』の旅へ――

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サイト紹介

* 雪乃や結衣の台詞のうち、主語や目的語を省略された解りにくい台詞は「読者への挑戦状」である。そこで読者は隠された真実を推理できる。その様に書かれている。
* 八幡は「信頼できない語り手」である。地の文の八幡の推測や思考はまちがっていて、そのまちがいこそがトリックである。
* 八幡は正しく観測する。つまり描写や叙景は正しく、それらが台詞や行動と矛盾するならば、それは先入観やミスリードを疑うべき徴候である。
* 隠されたルールが存在する。雪乃は嘘をつかないが本当のことを言わない事がある。結衣は正しい。八幡のまちがった解法は材木座が、正しいが八幡の取れない解法は小町が示す。
* 俺ガイルは決して抽象的に書かれてはいない。修辞的ではあって比喩も対句反復反照も省略黙説も駆使されるが、しかし徹底して論理的である。

読者も、自分のまちがいを疑いながら、八幡と共に悩み考え続ける。「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」を読む上で、考察と呼ばれる行為は、その最も面白い読み方の一つだろう。このサイトの目的は、その俺ガイル考察の手引、注釈書になる事だ。

たぶん。知らんけど。

おすすめ記事

・かつて彼の青春ラブコメはまちがっていた。

アンソロ、14.5巻、新俺ガイル、に描かれた新奉仕部の姿に戸惑うあなたに。あるいはこの新奉仕部の姿こそが正しく「まちがっている青春ラブコメです」、という主張。

・やがて彼の青春ラブコメはまちがえるだろう。

そうして俺ガイルに囚われてどこにも行けなくなってしまったあなたに。あるいはこの新奉仕部の姿はかつてない王道大乱闘頭脳戦ラブコメにもなり得るという主張。

ひろたき

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かつてとあるブロガーにひどく憧れており、私もやってみたいということで開設しました。いくつか記事を更新しておりましたが、現在はアニメ『俺ガイル完』の記事のみ公開しています。『俺ガイル』に関してはおおよそアニメから原作への橋渡しを目的として書いていました。

おすすめ記事

・『俺ガイル完』4話 感想・考察 由比ヶ浜結衣は、未来に何を見たのか。

多分一番読まれた(らしい)記事。かなりセンセーショナルに書いており、パッションの記事です。本当にパッションなので、パッションです。

・『俺ガイル完』11話 感想・考察 -Yui side-「だから、比企谷八幡はまちがっている。」

当時の私の「待たなくていい」解釈がダイレクトに伝わってくるように思います。あとパッションも。
なぜ -Yui side- しかないのかということですが、両面を書こうと思って先に結衣の方を書いて投稿したところ、「あれ、-Yukino side- 無理じゃないか……?」となって、取り返しがつかなくなったからです。書きたい気持ちはありますが、果たして。

なみもん

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俺ガイルに関する考えをTwitterで書き綴ったことに味をしめて、より長文で考えを整理するために開始したnote。俺ガイルに限らず、あるいはライトノベルやアニメに限らず、自分が気になったことについて考え、あるいは調べたことに対するアウトプットの場として活用しています。基本的には前提となる知識不要で気軽に読めるラインナップになっており、私のアウトプットが皆様のインプットとなることができれば光栄です。

おすすめ記事

・「待たなくていい」が意味するものとは?

おそらく私の俺ガイルに関するアウトプットの原点となった内容をまとめた記事。14巻で八幡が放つ印象的な言葉「お前はそれを待たなくていい」が意味するところについて、私の仮説を整理して述べた内容です。

・俺ガイルで学ぶ "まちがい"の分類・前編/後編

俺ガイルのキャラクターたちは、まちがい続けた青春を過ごしているという。しかし、そもそも「まちがい」にもいろんな種類があるはずである。
というわけで俺ガイルの実際のシーンを題材にして、人が犯す「まちがい=ヒューマンエラー」にはどういった分類が存在するのかについて知っていこう、という内容です。

大玉代助

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『俺ガイル』についての文章を書き始めたのは2017年から。まとまった『俺ガイル』論を書いたのは2020年の「渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 サブカルチャーの現場から文学への素朴な応答」の12万字で、それを全面的に改稿したものが当サイトの代表作「サブカルチャー化した文学から呼びかけられている――『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』」(21万字)となっている。『俺ガイル』を「言葉」や「他者」、つまりは「小説」から考えようとする文章になっているだろう。

おすすめ記事

・サブカルチャー化した文学から呼びかけられている――『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(1)~(17)

『俺ガイル』を他者論から読み解き、他者とは「言葉」までつながっていく様を素描した。その自己言及性が小説の輪郭を形成していくように。小説として読む『俺ガイル』論になっている。その意味での「素朴さ」を見つめつつ、「『俺ガイル』は文学である」という言葉に目にするたびに、どこかやるせなさがつきまとうような、どのようにその言葉を血肉化できるか試案しては、江藤淳や吉本隆明や大塚英志、佐々木敦、さやわかなどを参照して「文学のサブカルチャー化」を追う。その果てに、「文学」として『俺ガイル』をどのように位置づけられるか、読まれうるのかをみようとした文章になっている。

・「本物」ってなに――『俺ガイル』ノート

比企谷八幡が求めた「本物」について、「本物とは何か?」という考察ではないアプローチから「本物」に迫ろうとする断片。「本物」そのものよりも、「本物」としかいいようがなかった、そうとしかいいあらわすことができない言葉の瞬間、刹那的な響きをどのように感じるか。途方もない沈黙、暗闇との隣り合わせに灯として浮かぶような、届くかは分からないが、それでも「本物」としかいいようがない言語的体験、飲み込もうと迫り出る圧倒的な沈黙。言葉はどこにあるのだろうか。僕の現在の『俺ガイル』への関心事となっているような文章。

飄々図書室

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そもそも読書感想文を書くブログだったのですが、いつのまにか俺ガイル考察がメインになっていました。俺ガイルの記事はこちらのカテゴリページ(http://hyohyolibrary.com/?cat=36)にまとめられています。主にアニメ版に基づく記事で、捕捉しきれない箇所は原作からの引用で補完しています。

おすすめ記事

・一色いろははいつから比企谷八幡のことを好きになったのか?〜俺ガイルの恋愛心理を推察する試み

http://hyohyolibrary.com/?p=2602

『レプリカ Vol.1』に寄稿した文章の元になった記事。俺ガイルは「感情のリアルさ」が際立つ作品ですが、恋愛感情や恋に落ちるプロセスについてもリアルに描かれているのだろうか、という疑問が出発点になっています。これを読めばあなたも比企谷八幡になって一色いろはを恋に落とすことができます。

・俺ガイル完(3期)第11話の感想・考察その2。「お前はそれを待たなくていい」は由比ヶ浜を意図して振った言葉ではない

http://hyohyolibrary.com/?p=2478

比企谷は由比ヶ浜の恋愛感情に一切気づいていないので、「お前はそれを待たなくていい」は意図して由比ヶ浜を振った言葉ではなく、由比ヶ浜は勝手に振られたと感じただけ、という趣旨の考察。これは自分の主張したいことのために都合の良いファクターだけを寄せ集めて作り上げた虚像のような考察ですが、こういう極端で突拍子もない説がネット上に一つはあってもいいかなと思われ、叩き台にしてもらえればと思います。

才華

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アニメやマンガ、文学等を「読む」ことを実践しつつ、そうして「読む」ことを示すサイト。
『俺ガイル』に関しては、現時点で、アニメ2期までの内容に当たる原作の包括的な考察と、アニメ3期に関する各話ごとの綿密な考察、さらに「来るべき読解」のために、『俺ガイル』とフランスの思想家モーリス・ブランショの文学理論を関連付けた論考「終わりなき俺ガイル ――来るべき読解のために――」が掲載されている。

おすすめ記事

・【俺ガイル考察】5巻でカマクラがネコリンガルに残した言葉とは?

『俺ガイル』第5巻で、作中では明かされない、カマクラがネコリンガルに残した言葉をめぐる小考。
地道な立論から、ひとつひとつ筋道立ててゆく本稿は、いわゆる「考察」の孕むパラノイア的欲望に答えつつ、それを実直に実践している。
文字数も少なく、気軽に読むのに最適。

・終わりなき俺ガイル ――来るべき読解のために――

打って変わり、こちらはやや長文の論考とでも言うべきもの。
前半部でフランスの思想家モーリス・ブランショの文学理論を紹介しつつ、後半部で、それを応用して『俺ガイル』のテクストを読解しながら、その「終わりなさ」を説いている。
第1巻冒頭を蝶番として、現実=こちら側まで張り出してくるテクストと、「不在」が駆動させる「終わりなさ」が、素朴な他人としてではない、まったき〈外部〉としての〈他者〉を呼び込む、という道筋を立てる。
より本格的な考察は別稿に譲り、「来るべき読解のために」備えている。

clp

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人を二次創作に駆り立てる要因は多々あるが、「分からないことを知りたい」という欲求が強かったと語るclpは、それゆえに「全部」を書かねばならず、そして書き進むほどにその「全部」が広がって行くことに圧倒されたと言う。それはあたかも、原作における由比ヶ浜結衣のように。
そうした書かれた長編(未完)を「全部」読むのは、残念ながら現実的とは言えないだろう。それよりも『現実の裏側で。』と題された短編集のほうが、原作をシンプルに解釈した作品である上に各々が独立しているので、興味を惹かれた方はぜひ読んでみて欲しい。
もしも貴方が短編を読み尽くして物足りなさを覚えるのであれば、その時は長編を「最新章から(9巻だ)」読んでみると良い。特に9巻の3話から6話では「本物」発言の前後が描かれていて、それと原作との違いを目の当たりにすることで、貴方は『俺ガイル』の更なる魅力に気付くことだろう。
およそ全ての書き手は、自作を褒められると嬉しく思うものだ。だが一部の二次作者は、自作よりも原作が褒められることに更なる喜びを覚える。自らの作品を指して「いらなかったら捨ててくれ。面倒だったら忘れていい」などと嘯くclpの願いが那辺にあるのか、その解は『俺ガイル』好きな貴方なら容易に導き出せるだろう。

おすすめ記事

・斯くして、彼の前に最初の敵が現れる。

原作者の手による『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。アンソロジー1』収録作品から想を得て、雪ノ下さんと捻デレ男の大学時代を描いた短編。
原作の何気ない会話から妄想を広げて書いた作品です、とのこと。

・俺ガイル「本物」考。

二次小説を書き継ぎながら考え続けていた「本物」についての考察が、端的にまとまっている。
アニメ三期の完結を見届けた勢いで一気に書いた論考です、とのこと。

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