愚かで忘れっぽい人間
又お会いできて嬉しいです。
今日は人間の愚かさについて二つ考えてみたいと思います。
一つ目は、思い出を忘れゆく人間についてです。
学生時代を側で過ごした恋人、誰よりも慕っていた友人の顔をいつまでも覚えているという人はいるでしょうか。私は忘れがちです。
幸か不幸か、人間は自身をひどく悲しませるような過去の記憶を積極的に排除しようとする能力が生まれながらに備わっています。排除しようとする働きがあるからこそ、忌み嫌う記憶の蓋が思いがけない時節に開かれた際に、トラウマとなって人の心臓を貫くのです。
自分はそのようなことを最近経験しました。頭には残っていますが、凹凸のある表層を保てなくなった遠い過去の記憶を、予期せぬタイミングで掘り起こしてしまいました。その瞬間私は泣きました。情けなく思います。海馬の片隅に大切な記憶を無理やり沈め、過去と折り合いをつけて何とか現実と繋がろうと試みていた最中のことでした。
二つ目は、大切なタスクを忘れる人間についてです。
今私は大学院生で、インターンの応募を手当たり次第行っている状態です。際限なく早期化する就職活動に合わせる他なく、卒業の2年前だというのにも関わらず、私は企業が開催する就業体験に参加したいと思っています。
そんな中、先週の金曜日にとある企業から書類とWebテストの選考を通過した為、日程調整を週末の二日間で行って欲しいとの連絡が来ました。結論からいうと、私はその日程調整をすっぽかしてしまいました。週末は東京を救うのに必死で(真・女神転生 V Vengeanceをやっていただけ)、自分のしなければならないタスクを完全に忘れていました。書類審査が鬼門と言われており、志望度も高い企業だったので、3分で終わる大切な日程調整をせずに二日間ぶっ通しで、違う世界で冒険をしていた自分の愚かさを呪いました。
上記二つに共通していることは何でしょうか。それは、過去と自分は繋がっており過ぎ去りし時に主体的に入り込んで自分を呪ったり涙を流したりすることはできるという点と、それと同時に決して逆戻りは許されないという点です。
どんなに忘れたい、やり直したいと願う過去も、それ自身を決して捨てさることはできないのです。
その過去に対し、何かを学ぶことしかできないし、その過去が来たる大きな未来に役立つという保証もないのです。
ただ過去に迷い込んでしまい、黒い霧に包まれる中で、未来への出口を見つけられない場合には、人は時には一切の未来を捨て去るという選択肢をとってしまいます。
そうならないように、私は頑張って前を向うと思うのです。
今日は以上です。
ここまで来てくれてありがとう!
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