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私たちはなぜ親鸞に魅了されるのか(No. 947)

 考える人 メールマガジン
 2022年1月27日号(No. 947)

五木寛之×碧海寿広「私たちはなぜ親鸞に魅了されるのか」

昨年10月、新潮選書から親鸞聖人を論じた2冊の本が刊行されました。

ひとつは、五木寛之氏の『私の親鸞 孤独に寄りそうひと』。その出会いから50年以上親鸞を追い続けてきた作家による半自伝的親鸞論です。もうひとつは、近代仏教研究者・碧海寿広氏の『考える親鸞 「私は間違っている」から始まる思想』。近代以降の論客たちが、いかにして親鸞の魅力や影響を語り続けてきたのか――それぞれの親鸞論を読み解いた一書です。その両者が、あらためて親鸞の魅力を語ります。


五木寛之『私の親鸞 孤独に寄りそうひと』

碧海寿広『考える親鸞 「私は間違っている」から始まる思想』


編集者・木村元さんがお薦めする「音楽のように心に共鳴する10冊」

さまざまな分野の方におすすめの10冊をご紹介いただくリレー書評企画「たいせつな本」。今回は編集者・木村元さんに「音楽のように心に共鳴する10冊」を教えて頂きました。
音楽書を手掛ける編集者ならではのセレクションに加え、その本にぴったりの「BGM」も選んでいただきました。音楽に耳を傾けながら、本を読んでみるのもいいですね。

なお、文筆家としても活躍される木村さん、最新刊『音楽のような本がつくりたい――編集者は何に耳をすましているのか』が話題です。本日1月27日(木)には、分倍河原「マルジナリア書店」でトークイベントが行われます(オンライン配信もあり)。

アクセスランキング

■1位 村井理子「村井さんちの生活」
辛いなら、やめてしまえばいいんじゃないか?


■2位 木村元「たいせつな本」
音楽のように心に共鳴する10冊


■3位 稲田俊輔「お客さん物語」
5.友だちとは何であるか――議論で更けてゆく居酒屋の夜

「考える人」と私(46) 金寿煥

 2012年4月に幻冬舎より刊行され、200万部を超える大ベストセラーとなった渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』。同書には「冬じたく」というエッセイが収録されていますが、この一篇はもともと「考える人」に寄稿されたものです。
 それは2010年冬号の特集「あこがれの老年時代」に寄せられたもので、特集は児童文学作家の神沢利子さんや料理研究家のホルトハウス房子さん、狂言師の茂山千作さんなど、自由にみずみずしく老年時代を過ごしている方々へのインタビューと寄稿によって構成されたものです。
 渡辺さんの「冬じたく」は、「老いには、悲しいことばかりではない。それなりの恵みがある」と、坂村真民氏の詩「冬がきたら」を引用しながら、「冬」としての老年期を前向きに受け入れる――そのような内容のエッセイです。
 この原稿を依頼したのは私ですが、それまで渡辺さんと面識があったわけではなく、編集部の「渡辺さんがよいのでは?」という提案を引き受ける形で担当しました。原稿のやりとりも電話とファクシミリだったので、この時はお会いすることはありませんでした。

 その約2年後に『置かれた場所で咲きなさい』が刊行され、あれよあれよという間にベストセラーとなっていくのを当初は他人事として見ていました。しばらくしてから、「そういえば」とページをめくると、私が原稿を受け取った「冬じたく」が収められているではありませんか。
「しまった」と思っても時すでに遅し、筋違いもいいところなのですが、編集者には自分が関わった著者や原稿が他の出版社でベストセラーになるのを惜しむという因果な性質があります。慌てて、「あの時の私です。ぜひお会いしたい」と渡辺さんに手紙をしたためると、幸いご快諾をいただきました。
 薄情なものです。ベストセラーになってから「お会いしたい」だなんて。そんな私の邪な気持ちをとうに見抜いていたのでしょう。岡山にあるノートルダム清心女子大学を訪ねると、渡辺さんはひとこと「ちょっと遅かったんじゃない?」と微笑みながら迎えてくれました。
 面会は2時間足らずではありましたが、何とも心地よい時間で、私は一発でシスター(ご本人を前にした瞬間、自然とそう呼んでいました)のファンになってしまいました。
 ご存じの方も多いと思うので、ここでは省略しますが、凄絶な人生をおくってきた方です。その経験について、ずけずけと失礼な質問をしてしまった記憶があるのですが、嫌な顔ひとつせず優しくお答えいただきました。さらに過去の作品をふくめて著書の感想を伝え、「シスターの本を作りたい。『人生の試練』というテーマはいかがでしょう?」と厚かましくお願いまでしてしまったのですが、シスターは「面白そうだけど、金さん、私には残された時間が少ないのよ」と、はっきりしたお返事はいただけませんでした。その時、シスターは85歳でした。

 今思うと、この時すでに私は編集者として「フラれていた」のだと思います。しかし往生際悪く、その後何度も手紙を送り(そのたびに律儀にお返事をいただいてしまいました)、年に1回のペースで岡山を訪ね、お話をする時間をいただきました。
 二度目の面会の別れ際、シスターは私に「金さんは私にとって『放蕩息子』みたいなものだから」とおっしゃいました。それが聖書の言葉だというのは知りつつも、シスターの真意をはかりかねていましたが、その響きが妙に気に入ってしまい、それからは手紙をお送りするたびに「放蕩息子です」と名乗るようになりました。聖書にあるそのたとえ話を知れば、それがシスターのブラックジョークだったことがわかるのですが(そのお返事の宛名には、「私の放蕩息子さんへ」とありました)。
 最後にお会いしたのは、2015年の夏でした。お亡くなりになる前年のことです。最後の面会は、それまでで一番時間が短かったので、おそらくすでに体調が芳しくなかったのでしょう。それでもあきらめが悪く「本を作りましょう」なんて言ってしまったことを、今でも後悔しています。

「放蕩息子」と初めて呼ばれた直後にシスターからいただいたお手紙には、「『放蕩息子』と申しあげて、お気に障ったら御免なさい。私は、自分の心に『今どうしているやら』と気にかかる人(それも男性にはめったに言いません)にだけ、母親のような気持ちで使うことがあります。金さんがお帰りになる時、フッとそんな気持ちになり、口をついて出してしまいました」とあります。久しぶりにその手紙を読み返し、そこにあるシスターの温かい気持ちに触れて、その不在をあらためて痛感させられました。

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