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全てが嫌になったとき、生き延びてきた方法

鬱になってから5年ほど経つ。

時には「死にたい」の波に飲まれそうになりながらも、なんとか生きている。

希死念慮をどうやってやり過ごしてきたか、自分のための備忘録を兼ねて残しておこうと思う。

正直に言ってしまうと、メンタルの問題は、専門家や、信頼できる他人の力を借りるのが、1番回復しやすい。

けれどそうすることができない状況もあると思うので、ひとりで、家にいながらできる方法に絞った。


【ひとりでもできる生き延び】

ここでのポイントは、「ものごとの初手のハードルを下げること」。
どうせ休んで何もやることないとか、何もしたくないけど何かをやらないといけない気がするとか、そういう気分になるなら楽しんで何かしちゃえばいい。

けれど趣味をする元気もない……楽しめる余裕もない……そういう時に、めちゃくちゃハードルを下げて取り組める「何か」がテーマです。


①湯に浸かる

体を温め、体を清潔な状態にすると気分が良くなる。
銭湯とかに行けたら理想だけど、そんな元気はないので家で湯に浸かる。

特に鬱状態のとき、「風呂に入る」という行為は非常に難しくなる。
私も精神を病むと、すぐ風呂に入れなくなるのだが、大抵3日くらいすると、風呂に入ってないストレスが、風呂に入るストレスを上回るので、そこでやっと風呂に入る。

そこで、「風呂に入る」のではなく「湯に浸かる」ことにした。

湯に浸かるだけなので、体も髪も洗わない。スキンケアもしない。

めんどくさいことは全てやらない。とにかく湯船にお湯を張り、ただつかる。
これは家だからこそできることです(銭湯だと、湯に浸かる前に必ず体を洗わないといけないので)。

そして風呂の中でひたすらスマホをいじる。
この部分は読書でも、映画でも、あるいは何もしなくても、なんでもいい。これも家だからこそできること。

「風呂に入る」ことの最大の難所は「やらなきゃいけないことが多すぎる」という部分だと思うので、いっそのことそれを全てやらない。
体や髪を洗い、スキンケアをして、髪を乾かさなければならないという固定観念から自由になろう。「湯に浸かる」以外やらない。

それでも、何日も風呂に入らないよりかは、湯に浸かっている方がまだ清潔だ。

余裕があれば、髪の毛も湯船につけて、お湯だけでわしゃわしゃ洗う。

これだけで風呂に入ってないよりも清潔になれるし、体もあたたまる。
そして、あたかも「風呂に入る」という一仕事を終えたかのような気分になれる。

大事なのは、風呂に入るハードルをいかに下げるかということだ。
湯に浸かっているうちに、気分が良くなって体や髪を洗えたり、「ちゃんと風呂に入れる」ことも多い。


②温かい飲み物を飲む

病んでる時にやること、それは体を温めることだ。
というわけで引き続き、体を温めることに尽力する。温かいものを飲もう。

紅茶でもコーヒーでも、あなたの好きな飲み物でよい。
もうそれすらめんどくさければ、お湯でいい。
お湯を沸かして飲もう。「白湯」を飲んでいると思えば良い。

体を温めるためというのもあるが、ホットドリンクを飲むと、「ああ、今休んでいるな」と、まるで能動的に休んでいるかのような気持ちになれるのが好ましい。


③甘いものを食べる

ここで、私はいつも甘いものを食べる。

チョコレートが大好きなので、たいてい常備してるチョコを食べるが、あなたの好きなお菓子でよい。

ホットドリンクとお菓子がそろえば、おうちカフェの完成だ。
「私は休むことを選択しているのだ」という気持ちに浸ろう。

私はほうっておくと板チョコを1日に2枚も3枚も食べるので、普段はセーブし、何かできたときのご褒美として甘いものを摂取している。

なので、「生きてて偉いね」という意味を込めて自分にご褒美を与える。

この「自分にご褒美」思想を馬鹿にする奴がいるが、そういうやつは自分で自分にご褒美を与えられない結果、他人に「俺に褒美を与えろ」と迫ってくるうえ、拒否されると被害者ヅラしだすカス人間です。
なのでそうならないように、私たちは自分にちゃんとご褒美を与えられる人間になりましょう。


④映画を眺める

「眺める」と書いたのにはちゃんと意味がある。

「見なきゃ」と思うと、きちんと映画の内容を追って、ストーリーやキャラの心情を理解し、はてには製作者の思惑にまで至らないといけないような、そんなプレッシャーがかかる(私の場合)。

鬱状態にある人はストーリーを追う気力もありません。

なので眺めましょう。

映画は、すごい人たちがすごい考えて作っているので、構図とかがなんかすごい綺麗だったりする。

だから風景や絵画を眺めるような気持ちで見てるうちに、多少癒されたりする。そして「動いている」から飽きない。動く絵画だ。俳優さんの顔も綺麗だし。

そのうちになんかストーリーが気になってきて「見る」に至っていることもある。

ちなみに、邦画より洋画の方がおすすめです。
日本人が出てくると、動く絵画として眺めるよりも、どうしても顔を注視してしまう気がする。
そして、日本語を音として聞けず、意味を理解しなければならない気持ちになる。
なので洋画を眺める時も、吹き替えでなく字幕がおすすめ。


⑤絵を描く

「描く」といっても、別に絵を絵として完成させないといけないわけではない。

ただ、なんとなく気になった色を画面に適当に塗って、重ねていくだけでいい。

アナログは結構準備が大変なので、スマホの無料お絵描きアプリなどをダウンロードし、指で適当に色を塗る。私はアイビスペイントを使っています。

上手いとか下手とかどうでもいいし、何かを表現しなくちゃいけないわけでもない。

子供が遊ぶように、ただ「描く」という行為そのものを楽しむだけ。

それでも出来たものにはなんとなく愛着が湧いたりするし、「何かをやった」気持ちになると思います。


⑥自分の気持ちを文章化する

よく「紙に書く」とか「手紙を書く」とか言われるように、自分の気持ちを文章にするとよい。

なぜかというと、頭の中でごちゃごちゃ考えているよりも、言語化して文章にした方が、自分の考えていることが明確になるからだ。
何に不安を覚え、何が嫌なのか、わからないままでは対処のしようがない。問題点をクリアにしよう。

あくまでも「ひとりで文章化」するだけで、同じ内容を他人に愚痴るのはやめたほうがいいと思う。
大抵、自分の欲しい答えは返ってこないし、生きるか死ぬかの悩みを他人が解決してくれることもない。
そして、健全な人にとっては、そのような愚痴を聞かされることは不快な経験となる。

ここでのポイントは、頭に思い付いたことをそのまま書くというところだ。
個人名も、罵詈雑言も、そのまま出力する。
自分の心の底をのぞくための行為なので、ここで遠慮はしないこと。

別に紙じゃなくても、携帯のメモ帳とか、Wordとかでもいい。むしろデジタル機器の方が、後から読み返しやすいし、のちにきちんとした文章に改めようと思ったら添削しやすいので、おすすめだ。

ただしひとつだけ注意がある。
書いたそのままの文章を、誰にも見せてはいけないということだ。もちろんSNSにあげてもいけない。

理由としては2つある。
ひとつ目は、文章が人の目に触れる可能性を考えながら出力すると、人の目を意識しながらの文章になってしまい、自分の心の中が正確に写せなくなるからだ。

ふたつ目は、出力した文章は、たいてい醜いものとなっていると思うので、それを他者に見せてもなんの得もないからだ。
見せた相手に引かれたり、SNSに乗せたら個人を特定されたり、個人名をそのまま書くことから誹謗中傷となる可能性もある。

むしろ誰にも見せないという制約があるからこそ、心のうちを洗いざらい吐けるのだ。

余談だが、昔の知り合いに、人の愚痴を全く言わない人がいた。
その人は「愚痴ノート」というものを作り、そこにあらゆる語彙を尽くして愚痴を綴っていた。そのノートに全て吐き出す代わり、リアルでは誰にも愚痴を言わなかった。

そして毎年年末に神社へ行き、そのノートをお焚き上げしてもらっていた。
新年から、また新しい「愚痴ノート」に言葉を綴るそうだ。

今、「愚痴ノート」の役割をSNSに託す人が多いが、人に見られる可能性がある以上は、やっぱり文章を推敲しなくてはならないと思う。

思ったことを軽い気持ちでそのままぶつけて、トラブルになる人の何と多いことか。

自分の心の中を曝け出すか、他人に知って欲しいという気持ちを優先するか、しっかり自分で線を引かないといけないな、と思う(自戒をこめて)。


【おわり】

このようにして細々生き延びることが、はたして正解なのかは今もわからない。

けど明確に失敗であったとわかるまで、あるいは、生の苦痛が死の恐怖を凌駕するまで、私たちは生きねばならない。

この文章がその時の一助になればいいと思う。

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