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#16 頭の整理(2024.7.6)昔と今の小学校

小学校で教師をしています。
日々の生活や仕事の中で考えていることをnoteで紹介しています。

最近、色々仕事が重なってしまい、自分の考えていたことが、あちこちに散らばってしまっていたので、パソコンのメモを整理していました。

その中に書かれていることを、眺めていると何となく「今、自分の中に引っかかっていたこと」が分かってきました。

今日お伝えする事は、「考える順序」や「考え方」でもなんでもなく、今、自分が思っていることです。

いち教師の「ひとりごと」ですが、もしお時間あればお付き合いください。



今は動画の見逃し配信なんて当たり前ですが、

かつて、「予約録画できるビデオデッキ」が発明された時、「その時刻に家に帰らなくても、好きな番組が見られる」と誰もが喜んだのだと思います。


今は、気になる曲はスマホがあれば様々な方法で聞くことができますが、

「MD ウォークマン」が発明された時、カセットテープの煩わしい「巻き戻し」から解放されたなんて思う中高校生もたくさんいたのだと思います。


昔は便利なものが発明された瞬間「すごい」「やった」「便利だね!」とみんなが手放しに喜びを共有していたと思うのですが、今は少し違います。

なんか便利なものが発明されると同時に、「これって、便利だけど〇〇の部分の対策はどうするの?」「こういったケースではどういった対応をするの?」といったリスクの管理が同時についてきます。

最先端の技術に心躍るはずなのに、なんか「もやっとした緊張感」が常に背中にくっつくような感じがするのです。

「便利になりすぎ」というのもなかなか不便なものだなとも思います。



少し視点を変えて、「昔の学校」はどうだったでしょうか。

今よりもっと「ワクワクするもの」でいっぱいだった気がします。これは物質的な意味ではなくて、「自分の気持ちのあり方」みたいなものかもしれませんが。

担任の先生がクラスの子の誕生日に似顔絵なんか描いてくれたら「見せて!見せて!」とか「来月は僕の番かな?」なんてみんなで話したものでした。

算数の時間、計算の答えの横に書かれた文字を、順番に並べるとメッセージが出てくるプリントをみんなで解いて、「よーし絶対に自分が最初に答えを見つけるぞ」なんて単純なことで盛り上がっていました。

「もしかしたら」今の子どもはその程度のことでは喜ばないのかもしれません‥

・似顔絵だって撮った写真を、生成AIがイラストタッチで編集した方がきれいだろうし、

・理科の実験だって QRコードを読めばきれいな映像資料が出てきます。理科室特有の薬品のいやな匂いもしませんし、熱い実験器具を触ることもありません。

・プロジェクションマッピングや、毎日更新される面白い配信動画に比べたら、先生が一生懸命作った教具や、プリントなんて大して面白くないのかもしれません。


今は煩わしいプロセスや思考をすっ飛ばしても、「それなりの答えや結果」が出てしまう時代なのだと思います。


でも、うまく言えないのですが、何かを作り出す時の葛藤、アイディアが生まれる瞬間、日常で感じている違和感の発見というものがやっぱり面白いですし、自分を夢中にしているような気がしています。

生成AIがでてきても、仮想空間で様々な体験ができたとしても、どんなに時代が変わっても、「人が感動したり、驚いたり」する時は実は、変わってなく、「日常の中の新しい違和感に気づき、そのルールが分かった瞬間」なのかなと思っています。



個人的な考えかもしれませんが、どんなに時代が変わっても、自分が感動する気持ちを忘れなければ、私が学校で教えられることは、まだまだたくさんあるような気がしています。

多分そんな、「めんどくさいけど面白い」と自分が勝手に思っている「思考の手順」や「考える順序」を知ってほしくてnoteで紹介しているのかもしれません。

もしかしたら今の時代に合っていない、古臭い考えをお話してしまったかもしれません。

決して、今の時代の教育を全て否定しているわけではなく、子ども一人ひとりがパソコンを使っても、最先端のアプリが開発されたとしても、「あの時」のような、「頭の使い方」や「これはすごい!と思う発想」がまだたくさんあると思うのです。

最後まで、私の長いひとりごとに付き合っていただきありがとうございました。

自分が子どもの頃ワクワクした「あの感覚」を、もう少しこの仕事をしながら探していこうかなと思っています。