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自分を認めることについて


自分を認めること


一歩目は、自分の存在を認めること

自分って生きてていいんだ
自分って存在していいんだ

って

私はそれができる

それは、少し前にできるようになった


私にはそれができなかったときがあった


つい最近までそうだった

自分の存在が嫌だった

死んでしまいたい、もあったけど
消えてしまいたい、が一番だった

生まれてすぐ、物心ついたときから
って訳じゃないけど

いろんな事が重なって
小学校~中学校くらいの時から、そう思い出した

生まれてきた意味を見つけられない
と、考えるようになっていた


毎日生きるのに精一杯だった

バランスを保とうと必死だった

生きることが苦しかった


人が生まれて、死ぬことに、
本当は意味なんてないのかもしれない、と思う

そんなものがなくたって、

人は生きるし、人は死ぬ

”意味”を持ちたい人は持てば良い

でも、持てない人が居たって良い

今はそんな風に思う

前はそうじゃなかった


生きることが、苦しい

自分が生きていることで、
世界が歪んでいるような気がした

私は、居てはいけなかった

周りが、私を必要としていないことに気付いた

(そう感じただけかもしれない)

自分が生きることで、「+」と「-」が生まれていた

足して引いたら、-になってしまった

だから、

自分がいらなかった


消えてほしい、と他人のことのように思った

何かを達観しているつもりだったのか

それとも、
自分じゃどうにもできないことを悟っていたのか

実際、

私は私を消せなかった


私は弱かった

何もかもが弱くて脆くて、仕方がなかった

弱いから、苦しかった

弱いから、消せなかった

自分を消せないのは、
とても、とても、苦しかった

自分のためを思えないから、

私は自分を消せなかった


消すことに、力が必要なことを知った

それはきっと、
誰かが生きるために必要だといった、

愛とか、勇気とか、希望とか

そういう類いの、力だった


意味がわからないかもしれないが

ただ、生きるためと死ぬため、

その二つの違いは、「どこに向ける力」であったか
だと、思う


消せる人は、「強い人」なんだろうか

それとも、
「酔える人」なんだろうか


私は、何年か経ってから

一歩目を踏み出せた

環境が変わることがきっかけだった


ただ、愛のある環境と、愛のない環境では
少し違うのかもしれない


前者では、変化が怖かった

例え、もうそれが原型をなくしていて、
なんだかわからないような形をしていても

それでも、守りたかった
壊れてしまうのが怖かった

どうしても失いたくなかった

二度と帰ってこないことを知っていたから、嫌だった

まだギリギリのところで引き留めているつもりだった

本当はもう、その時点でなくなっていた

でも気付かなかった
気付きたくなかった

今でも、思い出すと苦しくなる

私が、心の底から欲しかったものだった


後者では、

喉から手が出るほどに、変化を欲しがっていた

ただ時間が過ぎるのを待った

心を殺せば、それだけで良かった

殺すと言うよりも、冷凍したのかもしれない

その時の私にとって、
時間が、一番手に入りやすい変化の手段だった


実際、どちらも変化した

私の希望とか、望みとか、

そんなものとは関係がない

ただただ変わっていってしまったし、
変わっていってくれた



私は、変われた

変われたのかもしれない


だけど、そうじゃないと思う

昔の私は、まだいる


小さく、小さくなって、今の私に隠れている

消してあげられない

消してあげたい


でも私はまだ、愛と勇気と希望を

完全には持ちきれていないから


私には消せない


一生、消してあげられないのだろうか


だとしたら、

大事に大事に隠してあげよう


正解が何なのかは、
まだわからないけれど


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