「終わり」の大切さ

「終わり」の大切さ。
この世界には普遍的な法則や原理原則が存在する。その一つに「必ず終わりが来ること」があげられる。どんな物事でも、どんな生き物でも、最終的な結末は皆同じである。
そこに希望がないのかと言えば、むしろある。
死があるからそこに生があり、死があるからこそ生は輝く。
死のない世界なんて、狂気に満ちているとも言える。
では、人間における"終わり"である「死」について少し考えてみよう。
人間は死ぬために生きてると言ってもいいだろう。理性と本能が入り乱れる脳内では、死というものがひどく恐ろしく、目を背けたくなる時期もあるだろう。それは、生物としては生理的な作用である一方、人間の中に潜む理性の化け物はその存在から目を背けることを我々に良しとしない。ただ、無情に、無慈悲に、冷酷に、我々に"死"を突きつけてくる。しかし一方で死を知覚することで、人間は生を愛し、人を愛し、何かを成し遂げようとするのではないだろうか。
つまり、死とは人間の動機の、最も深いところで、我々を温かく見守り、生から守ろうとしてくれている。

死がない世界など、誰が生きようと努力するものか。皆が一様に退屈し、時間をどのようにして消費するかを考えるだけの生きた死体が大量に存在する。そんな世界はきっと喜怒哀楽のような色彩はなく、無味無臭で乾燥しているに違いない。

人間には明確な終わりが存在することで、今を、現実を、目の前の世界を、必死に生きることができる。だから死を憎む必要はない。
恐る必要も、忌み嫌う必要もない。
むしろ歓迎して、受け入れて、必死に争うんだ。
そうすることでしか、生は輝かない。

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