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空想/本棚の街で


人が良い奴はいつも損をする。
おかげ様で、僕の従者はロープ使いの商人に突っ掛かり、踊り子の少女に蹴られている。

だから言ったのに。
こんな変な街は早く出ようと。
だいたい、建物の背が高すぎるのだ。
どの建物も100メートルを超える本棚のような細長い造りで、本の代わりに人間がぎっちり詰まっている。
足の長いラクダに乗って移動したが、あまりの高さに下を見るとクラクラした。挙句の果てに、ラクダは左右に揺れ、倒れるのではないかとヒヤヒヤした。
街の人-正確には、人と人の間に挟まった若い男-は僕と物を交換したがった。ぎっちり詰まって身動き出来ないので、下に降りる機会は滅多に無く、物が欲しいはロープ使いの商人に頼むのだという。

ロープ使いは、不思議なロープで小柄な少年をくくり、宙に浮かせて物の受け渡しの仲介をしていた。
そう、おかしなことに、吊るして、ではなく宙に浮かせて、なのだ。
100メートルも伸びたピンと張ったロープ。その先端で胴に何周もロープを巻かれた少年が、建物から建物へ、物を受け取り渡す。
ロープ使いの操作は乱暴で、少年はぎっちり詰まった人の間に何度も突っ込んでいた。
罵声を浴びせられ、客に押し返される少年。壁にぶつかったのだろう、服が壁のくずにまみれていた。


僕の従者がロープ使いの商人に突っ掛かったのはそういうわけだ。
「もう少し、あの少年の待遇を考えたらどうだ」「ロープの操り方が上手ければ、彼は怪我をせずにすむだろう」と。
その結果……踊り子の少女はロープ使いの商人を守るように前に立ち、素早い身のこなしで従者の腹にひざ蹴りを入れた。フェイスベールがふわりと舞い、従者は崩れ落ちた。
踊り子の少女は従者にぐるぐるとロープを巻き、簀巻きにしていく。
ロープ使いの商人は口髭を撫で付け「ガキを庇うなら、お前が代わりになれ」と吐き捨てた。

商店の影に隠れていた僕は、走って飛び出し踊り子の少女に縋りついた。
浅はかで、頭より先に体が動く愚か者だが、それでも僕の従者なのだ、連れて行かれては困る、と少女に懇願した。
踊り子の少女は、冷ややかに僕を見た。
僕は必死に訴える。「こんなにも性格の悪い僕の、たった一人の友人なんだ、助けてくれないか」
ロープ使いの商人が店先に立ち、帳簿をつけている。
踊り子の少女は、従者のロープを綺麗に結び直し、一抱えもある余ったロープを僕に渡した。
「いいか、取り戻したければこのロープの端を決して離さず、ロープが伸びきったら強く引っ張りなさい」

建物の1階は薄暗く、壁にヒビが入っている。
表通りでは、商人が従者を高く高く浮かせているのだろう、ロープがしゅるしゅると減っていく。
僕はドキドキしながらロープの端を掴んでいる。
重力を無視して上方に吸い込まれていくロープ。もう半分ほど減っただろうか。ロープの輪の束がが僕の手前に4つ、奥に3つ。
絡まることなく、奥の3つが2つに減る。僕はロープの端を両手で握りなおす。
従者は高いところは苦手だっただろうか?彼が叫ぶ声ももうとっくに聞こえなくなっていた。
奥の束がほどけて無くなる。
僕は足を踏ん張り、来たるべき引力に備えた。
手前の束がしゅるしゅるとほどけていく。
3つ。
2つ。
1つ。
僕は全力で引っ張る。
思いのほか強い力だ。ロープを部屋の奥に引き込むこともできず、足がじりじりと前に進む。
奥歯を噛み締め、唸り声が漏れる。
少しでも力を緩めれば、たちまち体ごと持って行かれてしまうだろう。
腰を引かず、全体重をロープに込め、ぐんと引っ張った。
すると、手応えがなくなり、僕は尻餅をつく。
今までの攻防が嘘のように、力の抜けたロープが地面にのびている。
僕は表通りに飛び出した。

店先でロープ使いの商人が慌てている。
踊り子の少女が、ロープを途中から巻き、ロープ使いの商人に「ほどけてしまったようです」と報告している。
僕は、落ちたロープの先へと走ってたどる。

路地に入ってすぐ、ひとつだけぼろぼろの建物。
瓦割りをしたかのように、てっぺんから地上階まで割れている。
その入り口に続くロープの端。少しずつ、僕が来た方向に引っ張られていく。
僕は迷わず中に入り、階段を駆け上る。

駆け上がってすぐ、ひとつ目の扉を力任せに開く。
埃っぽい絨毯だらけの部屋。
ボロボロで、壁のクズだらけの従者がいた。
従者は目を開けると、ヘラヘラ笑ってと僕に手を振った。

本棚の街を後にして、従者は興奮した様子で僕に説明した。
聞けば、うかつな踊り子の少女は、ロープを片側から引けばほどける特殊な結び方をしてしまっていたそうだ。ロープ使いの乱暴な操作で、従者は瓦割りの建物の角に引っかかった。従者は必死で建物にしがみつき、ロープがほどけたとたん勢い余って地上階まで落ちたのだという。
従者はヘラヘラと、自分の運が良くて助かった、と笑った。


僕はため息をついた。
これだから、人が良い主人はいつも損をする。