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「妊娠しています。残念ですが...継続は困難です。」

不妊治療を経て、妊娠と同時に妊娠継続が困難になった体験談です。あくまでも妊活・不妊治療中の方向けに、自身の主観で記載したものであり、正確な情報というよりはひとりの体験談であることご理解ください。なお、不妊治療や妊娠についての具体的な状況などセンシティブな内容にもなっているため、読み進めるかは序盤でご判断ください。

「妊娠しています。残念ですが….継続は困難です。」

これは加熱寿司を起業してからぴったり1年の節目の日(いい夫婦の日)、そして不妊治療から一年半が経った日に、通っていた産婦人科医の方からいただいた言葉です。

このnoteは一年半の不妊治療を経て、妊娠したものの、妊娠7週目で継続困難となった一連の実体験について、まとめたnoteになります。

現在、不妊治療をされている方を中心に、不妊治療における薬のリスクとして、こういったケースが可能性としてあり得ることを頭の片隅においてもらえると幸いです。


2021年:出産と起業

2021年5月に第一子となる息子を出産したのも束の間、1ヵ月をすぎた6月頃から、自身の妊娠体験を機に立ち上げた加熱寿司の事業化に向けて再始動した。今振り返ると、無自覚に活動しすぎだったのかもしれない。

当時は、自分にとっては、育児だけで100%の脳内シェアや時間が埋め尽くされているより、他にやりたいことをする時間があったほうが、バランスが取れていると思っていた。

はじめての育児は当然、一生懸命であり、毎日が必死ではあったものの、仕事は無理をしているという自覚もなく、2021年11月22日にはクラウドファンディングも行うことができ、育児と起業の二足のわらじを履く新たな人生が始まった。

2022年5月:産後から1年後、排卵障害が発覚

第一子が1歳になる2022年5月頃、産後1年経っても生理が戻らず、産婦人科を受診。結果、視床下部性排卵障害と診断。排卵障害は、不規則な生活やストレス、極端なダイエット、その他甲状腺機能低下症や下垂体腫瘍によって起こる。

最終的な原因はわからないが、当時31歳にして生理が完全に止まるとは想像もしておらず、多少なりともショックだった。

当時産院で排卵障害の説明時に渡された紙

2022年11月:本格的に不妊治療を開始

排卵障害が明らかになった同年11月、夫婦での話し合いを経て、本格的に不妊治療を開始した。不妊治療が大変な道のりであることは、周囲からもよく聞いていたので、不妊治療を行ってまで2人目を望むのかについてはそれなりに長い期間、悩み、幾度となく、夫婦で話し合った上で出した結論といえる。

2人目の不妊治療を開始する際に考えていたこと。

当然だが、子供が二人いないと幸せになれないわけではない。今のままでも十分である。しかし、どういう結果になろうと、「5年後10年後に後悔しないのはどちらか」と問うと、やはり2人目に挑戦したい。「息子に兄弟を作ってあげたい」という気持ちもあったが、最終的にはそれを除いても、自分自身が後悔しないために、決意した。

具体的には以下の流れで進んでいき、1つ1つ不妊の原因を調べ、要因を絞り込むと同時に、不妊治療のステージがあがっていった。まるで工場のベルトコンベアに乗せられているようだった。

観察日記をつけるかの如く、卵胞や子宮内膜の様子を見る必要があり、週に2度時間を調整し通院した。

  1.  ホルモン値の再検査

  2. 子宮がん検診

  3. クロミッド服用による排卵促進+タイミング法(6回)

  4. 粘液検査

  5. 精液検査

  6. 卵管造影検査

  7. 人工授精(2回)

  8. 別のクリニックで体外受精に進むべきか相談(セカンドオピニオン)

なお、この頃は前年度のクラウドファンディングの資金を元手に2022年11月22日に加熱寿司を正式販売できたタイミングでもある。自分にとっては、第一子の成長と事業の成長は不安と負担が多い不妊治療生活において、いずれもよい話だけではなく、ともすれば苦労話も尽きないものの、必要な心の栄養でもあったと思う。

2023年11月:喜べない妊娠発覚

不妊の理由は不明のまま、タイミング法から人工授精に切り替えた2023年秋ごろ、2回目の人工授精から数日後、1回目同様、多量の出血を確認。今回こそはという気持ちとは裏腹に、体内から確認される出血からは自身の落胆の気持ちが漏れ出ていたと思う。

3回目の人工授精に向けて、いつもと同じ排卵促進剤(レトロゾール)を5日間服用。服用後、いつも通り卵胞が育っているかを確認するために検査に行った。薬による排卵促進は半年以上行っており、この頃は感情もなく、次の準備に向けて淡々と必要なルーティンをこなしていた。

すると……先生の様子がいつもと違う。いつもより長い超音波検査に明確な違和感を感じ始めたタイミングで、先生より赤ちゃんの袋、胎嚢が確認されたことを告げられた。

つまり、待ち望んでいた妊娠が発覚。

当時の気持ちは「喜んでいいのか?本当に?次の人工授精に向けて、排卵促進剤飲んだけど大丈夫?」という、様々な想いが錯綜するどっちにもつかない気持ちだった。

その時点ではずっと願っていた妊娠に対しての嬉しさと同時に、妊娠初期でもあり、過剰な期待しすぎないように、と自分を抑え込んでいる側面が強かった。

すぐさま院内にて妊娠検査薬を確認し、妊娠確定。生理が来たと思っていたが、着床に伴う着床出血だったことが判明。

ところが、いつもにこやかな先生が見たことがないくらい真剣な顔をしていた。一度待合室に戻り、再度呼ばれた後、先生から説明を受けた。

「妊娠しています。残念ですが...継続は困難です」

私は妊娠中に排卵促進剤(レトロゾール)を服用していたことになり、レトロゾールは妊娠中の女性への投与はしないことになっている。

「母体と子へのリスクの観点で、今後の妊娠継続は極めて厳しい。現在4週だから来週心拍見れるかもわからない。リスクについて再度論文を調べてみるが、基本的に継続は困難なものだと考えてほしい(一部割愛)」

妊娠発覚と継続困難。来院前は想像もしていなかった情報の塊を処理できず、リスクの程度を理解しきれずいたが、先生がわざわざ待合室まで出てきて「落ち込まないように」と励まされ、起きていることの深刻さが少しずつ頭と体に染み込んできた。改めて一週間後に予約をし、その日は終了。

まずは状況を冷静に整理するべく、近くのカフェに移動。夫に今の状況を話すか、結論が出てから話すか、などメリット/デメリットを整理し、結果その時点で伝えることに。

本来であれば、妊娠発覚をどう夫にサプライズとして伝えるかを考えていたかったが、残念ながら他のことを考えざるを得なかった。

意識による所も大きいが、妊娠発覚後は異常に眠かったり、吐き気があったり、妊娠の初期症状は確実に出ており、とても複雑な気持ちで1週間を過ごした。

翌週、夫も一緒に産婦人科に行き、改めて詳細な説明を受けた。趣旨は前回と変わらず、複数の観点から母体と子のリスクも極めて高いことについて、論文や文献を交えて説明いただいた。結論は変わらず、医師としてこれ以上の継続は推奨できない旨を再度告げられた。

紹介状をいただき、早々に中絶手術をしなければならない。今もおなかの中で確かに存在している待ち望んでいた命を、自らの判断で手放さないといけないことに、心が張り裂けそうだった。

11/22のいい夫婦の日に妊娠が発覚し、12/5に手術。急な話で頭ではわかっていても、心がついていかない。

出口の見えない不妊治療について、治療法や処方される薬など、新しい単語が出るたびに検索をしていた日々の先に、中絶手術について検索する日々がやってくるとは。

ずっと願って、苦労して、やっと授かった命と、自らの意思でさよならしなければならない。

しかもこれは、今振り返れば以下の2つで防げた可能性があった。
・生理が来た後、次の排卵促進剤をもらいに行く前、あるいは行った際に、妊娠検査薬を使う
・排卵促進剤を貰いに行く際に、内診してもらう

第一子の経験や周囲の情報なども含めて、着床出血は生理より量が少ないと思っていた。そして、これまで何度も生理がきてリセット、を繰り替えしていたので、着床出血だと気が付けなかった。

生理っぽいが、着床出血かもしれないという疑いと希望をもって、より自分が慎重になっていれば、今でも我が子はおなかの中で成長していたかと思うと悔やんでも悔やみきれない。

注釈:今回の件に関しては自分も含めて特定の誰かを責める意図はありません。振り返った上での可能性の話でしかなく、次回以降、私は絶対にこれを怠らないというある種の誓いのようなものとご理解ください。

2023年12月:中絶手術

妊娠発覚から10日後に、中絶予定の産院で診察を受けた。セカンドオピニオン的に診察してくれた先生にも妊娠継続の可能性を相談するも、結論は変わらず。

2時間近くかかった待ち時間は赤ちゃんの産声が聞こえたり、新生児を抱いて産院の前で写真を撮る光景を目の当たりにし、すでに沈んでいた気持ちに追い打ちをかけられた。人と比べても仕方が無いし、産院だってすべての人に配慮することは出来ない。ただ、自分は命とお別れするためにこの場にいると考えると、本当にいたたまれない気持ちで、一刻も早くその場から去りたかった。

翌週、手術当日はブドウ糖の点滴を入れ、同時に手足を手術代に縛り付けられ、動けなくなる。全身麻酔が入れられる時、ずきずきとした鈍痛とともに意識が無くなる。

術後起こされ、朦朧とした状態で患部に痛みが残り、目をつぶったまま「痛いです、痛いです」と言っていた。そのまま目を開けられないまま、車いすで運ばれ、個室に戻りベッドに置かれた。

2時間ほど安静にし、歩行訓練+排尿に問題が無ければ退院。ベッドでの2時間は、もう自分のおなかにいない我が子に対して、「生んであげれなかった、ごめん」という想いで涙が出てしまい、眠れなかった。余談だが…..中絶手術は自由診療となり、13万円ほどかかった。

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どうしても内容的に、後ろ向きな文章になってしまったが、今は気持ちは前を向いている。ただ今回の事態は、防ぎようがあった部分もあるため、現在妊活・不妊治療中の方には同じ想いをしてほしくない。

あくまでも一人の体験談だが、誰かの役に立つと嬉しい。そして個人的にやっと授かった大事な赤ちゃんの命を、ただ無かったものにしたくなかったのもある。

今回の話は夫と両親にしか伝えていなかった。今回noteを読んでくれた、知人・友人・その他はじめましての方も、気を遣わずに「読んだよ!」と気軽に声をかけてくれたら嬉しい。

最後に


・妊活・不妊治療中の方へ
病院も多くの患者さんを抱える都合上、1人1人にどこまで時間を割けるか、悩ましい問題もあるかと思います。自分と我が子の身は自分で守るためにも、生理が来たと思っても次の排卵促進剤を飲む前に妊娠検査薬を使ってください。着床出血と生理の見分けをつけるのは難しいです。

・産婦人科のお医者さまへ
生理がきたという患者の自己申告があったら、わざわざ妊娠検査薬を使わないケースもあると思います。ただ、このようなケースも事実発生しており、改めて妊婦には絶対に投与してはならない薬であることをご認識していただき、できる限り妊娠検査薬や内診を行ったうえで、次のお薬を処方していただけないでしょうか。

参考)レトロゾールに関して
https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00065274.pdf


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