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ページ8 お金持ちの世界を知る#2

大工として父を認めて、家族ぐるみでお付き合いを始めると茶道華道の師匠のご主人は父を弟のように可愛がるようになった。私がお手伝いに行くと、父が師匠のご主人と応接間で昼間っから酒を呑んでいることが度々あった。

師匠ご夫婦には子供がいなかった。家族は師匠夫婦と師匠のお母さんの三人だった。資産家の娘が婿養子をとったのだ。

ある日、師匠が小学生の私にもわかるように家族の話をしてくれた。

「ウチはね三人とも血が繋がってない他人の家族なの・・・」話は始まった。

師匠は養女だった。もう何代にも渡って子供が出来ない家系。どこの家も自分の家のような繋がりだと信じていた私にはまるでドラマを見ているような内容だった。

日常の言葉を慎重に選び、気を遣い合う関係の家族・・・言いたいことの半分も言わないようにしているという距離感・・・どれもこれも我が家とは大違いで自分の生きている世界との違いをあらためて痛感した。

この話の後、お稽古の時だけ『先生』と呼び、それ以外は師匠を『ママ』・ご主人を『パパ』・そして師匠のお母さんを『おばあさま』と呼んで欲しいとお願いされた。

そう呼んでね!という軽いノリではなく、正式にお願いされた感じがいつもの師匠の口調とは違っていて少し怖くなった。

ある日、師匠が京都観光に誘ってくれた。冬の寒い時期で多分、正月が明けてすぐだったと記憶している。

ママとパパとおばあさまと私・・・行ってみるとそれは京都の知恩院へのご先祖様への年始のご挨拶。つまりお墓参りだった。

往きの電車の中でママが知恩院さんの歴史や近くの観光地のことを色々と教えてくれた。中でも宮大工が登場する『忘れ傘』の話が面白かった。お参りの後、その『忘れ傘』を見せてくれたり、参道の蕎麦屋さんで『にしんそば』を食べたりした。初めての楽しい京都観光だった。

『にしんそば』を食べた店は老舗の有名店らしく、知恩院さんに来たら必ず食べるという家族のルールに参加していることにも私を大切に扱ってくれているのがわかって、とても嬉しかった。

我が家は父が『そば断ち』をしていたので、年越し蕎麦ではなく年越しうどんだったこともあり、『そば』というものを初めて食べた。自分は実は『そば派』だったと気づいて驚いた。

中学に上がってすぐに家族全員で、お屋敷に呼ばれた。いつもは使わない庭に面した大きな座敷。しかもお手伝いさんが私たち家族を上座に案内したので、これはただゴトではないと思って緊張した。それは私が茶道のお稽古で座敷の上下(かみしも)を知っていたからだ。

そんなことに無頓着な母と姉は、初めての座敷の設の素晴らしさに感激したりして、少しはしゃいでいるように見えて、悲しくなった。ただ父は緊張を隠すように母と一緒にはしゃいでいるフリをしているように見えた。

ママが話始めた。

「愛子さんを 養子にいただきたい・・・」という内容だった。