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ページ16 お金のために働く

 中三になって志望校を決める時期が来た。私は私学には通えない。絶対に合格する公立高校でなくてはならない。担任と相談して、合格ラインから2ランク下を受験することした。それでも、もしも受験当日に何かあって不合格だったら・・・そんなことを想像してとても不安だった。

卒業式もその後の写真の取り合いっこも合格通知の前だったので、上の空だったし、大して思い入れもない中学生活だったので覚めた目で皆を見ていた。叔母さんが卒業式に参列すると言ってくれたが、断った。私は一人で中学生を終えた。

卒業式のすぐ後に公立高校の合格通知が届いた。ほっとした。あんなに不安だったのに合格するのが当たり前の学校だと思うと嬉しさはあまり無かった。それよりも通学の定期代や教科書代、そして授業料のことが気になった。

とにかく母に何かを頼むことが嫌だった。おねだりして何かを買って貰った思い出は幼稚園までだった。

まだ高校生になっていなかったが、アルバイトをすることにした。幸い姉のアルバイト先の社長が我が家の状況を理解して、違法だけど雇ってくれた。

合格した高校は、新しい試みを実験する指定校で他の学校とは違うことが多かった。中でも私が一番助かったのは制服が無いことだった。

制服を購入する必要が無いので入学準備にはそれほどお金がかからないことがわかった。授業料は年に4回支払うこともわかった。一番高かったのは教科書だったが、従兄弟のお兄ちゃんから一式を貰い、それでまかなえた。

最初の授業料の支払いも入学後だったから、バイト代で支払えた。母に授業料の請求書を見せた記憶は無い。『高校生になってから母親にお金を貰ったことは無い』と思い込んでいたが、それでは辻褄が合わないことがあるので、少しは出してもらったと思うが全く覚えていない。

記憶とは不思議なものだと思う。夜逃げしてから高校生になるまでの記憶が極端に少ない。新しい学校での『いじめ』なんてどうでもいいくらい、毎日の登下校に緊張感があったし、小さなアパートで母と一緒の時間が嫌だったから、とにかく勉強した日々だった。勉強机に向かってさえいれば母は話かけてこない。勉強していない時も机で小説を読んだ。読書習慣の無い母だったが私には「本を読みなさい」とよく言った。だから私が本を読んでいれば機嫌が良かった。それが官能小説でも母は気づかない。

現実逃避のために勉強し、本を読んだ。そしてお金のためにアルバイトをした。ほぼ毎日、学校が終わるとアルバイトをしたし、夏休みは毎日一日中働いた。それで原付バイクの免許を取り、バイクを買ったりした。バイクを買ったのは登校とアルバイトへの交通費を安くするためだ。バイクの免許を取ることすら母親に相談したり報告したりすることも無かった。お金の為にやることに母が反対する訳が無いし、「危ないから」という理由で私を心配したりする訳がない。私は母のことをそう思っていた。

欲しいものがあれば働いてお金を稼げばいいんだ。お金を出してもらうこと以外で母を必要としていない。学費と小遣いは稼げる。後は生活費だ。高校を卒業して就職したら、こんな嫌な家を出ることが出来る。

稼げばいいんだ。お金さえあれば自由になれる。働けばいいんだ。簡単だ。

高校生活はたったの三年しかない。私には明るい未来が待っていた。