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『自分が当たり前にできてることを他人もできることだと思うのをやめる』の巻

良くしてくれてる先輩が更に歳上の良くしてくれてる先輩に対してめちゃくちゃ礼儀正しかったのがかっこよかった。2人ともかっこよかったからぼくもそういう先輩になりたいなと思った。

NIKEのスニーカーをweb上でオーダーメイドできるアプリで欲しいスニーカーのデザインを4つ作ったけど作れば作るほどコツを掴んできてドンドン作るのが上手くなっていくもんだから、いつまで経っても欲しいNIKEが完成しない。もはやNIKEの奴隷である。

「奥さん」や「嫁さん」という言葉があまりいい言葉ではないということを知ってから「妻」と呼ぶようにしてるんだが、どうしてもぼくにとっては妻に「妻感」が感じられなくて毎度少し恥ずかしさを感じているということをこのブログを読んでくれてる人にはわかっていてほしい。「世の中的に良い妻ではない」という意味ではなく、なんとなく「妻感」を感じない。

あと、「子供」という表記もあまり良くないというのを昔、父親から聞いたことがあって「共」という漢字自体に相手を下に見ている的な要素を含んでいるという話だった気がする。なのでぼくは父に習って以前から基本的に「子ども」や「こども」と表記するようにしている。時々Twitterやブログなどで「子ども」の表記を使っている人を見つけるとなんだか仲間意識を感じらる。その度なんかホッコリする。

マネージャーとお酒を飲んでる時に「いつも色々ありがとう」という旨を敢えて言葉にして伝えたら「まあ、また一緒にお酒飲んでくださいね!」て言ってきた。こういう世界で暮らすのが幸せである。

下北沢を歩いてるとぼくの前をダラダラ歩くカップルやすごい速さで突っ切ってくるおじさんなどがいっぱいいて歩きにくかった。次の日京都の街で信号待ちしてたら子ども連れのお母さんと軽くぶつかっちゃったし、歩道もなんかうまく流れに乗って歩けなかった。またその次の日、昨日までは歩くのにあれほど苦戦していたぼくが大阪心斎橋の人混みの中を何のストレスもなくテクテク歩けた。あれだな。土地と精神はシンクロしてるのかもな。東京も京都もまたお邪魔しますね。

自分が当たり前にできてることを他人もできることだと思うのをやめようと思う。相手ができなかった時にストレスが溜まるので本当にやめといた方がいい。逆に「これは自分だからできるんだ!」と思ってることを増やしておく方がイライラしなくて済むし、勝手に自信がついてきてなんか活気が出る。

エフェクター買いに行く時は本当強気だな。「今日一個買う!」という気持ちが自分の中で決まってるから店員さんに気遣うこともなく色んな機材を試奏しまくるんだ。その日なんて「これは買わないんですが興味あるんで弾かせてください」とかマジで言わなくていいことまで吐き出してたもんね。強気の自分てキモいよね。

明日は朝からシナぷしゅの映画を観にに行くことになっている。大雨じゃなければ。妻が息子(0)にどうしても観させてあげたいらしい。そんな話を友だちにすると「え!0歳を映画館に連れて行っても絶対記憶に残らないだろ!」的なことを言われたんだけど、映画は記憶に残すために観るんじゃなくてその時楽しいから観に行くんだから歳は関係ないだろ!野菜は美味しいから食べるの!

※上記大雨が降ったためシナぷしゅの映画は観に行っておりません。(追記)

以上。あざした。

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