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実家を断捨離したら「拝啓日記二十歳の君は~」が見つかり痛かった話

 吾輩は無職である。職はまだない。
 ──無職なので、当然有職者よりは暇がある。そんなこんなで、ずっと心に引っ掛かりながら無視していた実家の私物を断捨離してきました。
 なお、実家を出たのは二十歳半ばの頃で、それまでの私物をずっと放置しており、実家を出た後は、部屋が物置状態でさらになぜか自分のモノ以外も増えているというあるある展開でした。そして部屋は、文字通り足の踏み場もないような場所になっており、なかなか骨のある作業で、二回に渡って断捨離しました。捨てたものはあくまで自分のものだけですが、以下が内訳です。

・燃えるゴミの袋大 8袋分
・燃えないゴミの袋小 1袋分
・雑誌類などの紙ごみ 私の体重分くらい(体重はご想像にお任せします……)

 うち、燃えるゴミの袋大6袋分は、断捨離一回目にまとめたもので、こんなにたくさんゴミを出して回収されなかったらどうしようと不安に駆られながらゴミの日に出しました。ちゃんと回収されたのでほっとしました。
 そして二回目は、雑誌類などの紙ゴミメインだったのですが、当方、筋金入りのオタクであり、自分で書いたネタや同人誌、さらにはイベントのパンフレットなどがたくさん置いてあったため、なぜ家を出るときに捨てなかったんだ???と後悔しながら、紙ゴミ処理場まで持ち込みました。
 しかも同人誌……昔の同人誌って名前どころか住所まで奥付に書いてあるんですよね……個人情報保護のため、それからを刻むのもまた骨のある作業でしたが、それ以上に大変だったのが「昔書いたネタ」とか「表題の日記」です。これはもう本当に痛い。痛すぎる。

 実際に書いた日記がどのようなものだったのかというと、恐らく中学生頃から二十歳になるまでに書いた、二十歳の自分へ宛てた日記で、「何でそんなもの書いたんだ?オーマイガー!!」と心の中で叫びながら処分しました……
 書いてある内容も、なぜ自分宛なのにわざわざ「ですます調」で書いたのかわからずそれがまた痛々しく、内容もやはり二十歳の自分に宛てているだけあって、「二十歳の自分は何をしていますか?恋人はいますか?」みたいな内容…………恥ずか死ぬやつです。そしてこんなに痛々しい日記を二十歳まで書いていたにもかかわらず、もうアラフォーに近い私は書いていたことをすっかり忘れていました。なぜ忘れていたのか、そしてなぜ二十歳のときに処分しなかったのか………
 日記の最後のページは、二十歳になった自分が記したものらしく、そのときに「恋人はいねーよ」みたいな、笑い飛ばしたような内容に変わっていたのですが、たぶんそのときにすでに昔書いた内容が恥ずかしくなっていたはず……なぜ本当に二十歳の時点で処分しなかったのか不思議です……
 日記だけではなくネタや、ポエムじみた小説の一部分が大量にあるのも、やばかった。見ないふりして二十年近く過ぎてましたが、人間いつ死ぬか分からん……という気持ちでやっとすべてを処分しました。なぜ若いときってポエムに走りがちなのか……「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」という某シャアのセリフが頭をよぎる……

 そのほかにも私の部屋は、一時期友人達のたまり場になっており、婆が昔の頃はスマホなどなく、また私の部屋にテレビもなかったため、じゃあ何していたのかというと当時はBLのパソコンゲームが全盛期で、それらをやったり、うちにある紙を使って友人がお絵描きし、それらを友人が持ち帰るでもなくうちに残していく……ということが何度も繰り返されていました。そのため、自分の若さの痕跡だけではなく、友人の痕跡も大量に出て来て「懐かしい!」と一人で叫んでいました。不慮の事故死で自分の死後に発見されるとかなくてよかった……と、断捨離して心から思いました。

 こんなに断捨離したにもかかわらず元自室はまったくこれっぽっちも綺麗になっていないのですが、少なくとも死後に見つかって困るものは処分できたので良かったです。
 
 紙は木で出来ていて重いので、もっと年を取ると体力的に捨てるのも大変になってくるので、今のうちにやっておいてよかったなあと心から思います。


 

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