嗚呼、愛しきおじさんクライマー

ミゾグチさんと言うクライマーがいる。

ミゾグチさんは森羅万象のクライマーに愛される才能を持ったおじさんである。実際私の知る限りでは彼のことを悪く言う者はいない。

それは彼が容姿端麗で人当たりも良く、学や気品があり、何よりクライミングに対する姿勢が誠実で、つまりはその表面上に欠点らしい欠点が見当たらなかったからだろう。

ちなみに結婚はしておらず一人の時間を登山とクライミングに捧げる自由人である。

人は「ミゾグチさんならその歳でも引く手数多だね」などと茶化すのだが、私が彼とそれなりの時間を過ごしてきて思うのは、彼の持つ魅力は特定の側から見た時に真価を発揮するものであって、一般的な目線で見たソレは別の異質な何かとして映るのではないかと言うことだ。

例えば聞くところによると、ミゾグチさんの部屋の一角には自作のトレーニングウォールが鎮座しており、各種登山用品の存在も手伝って寝具を置くことができないため、寝袋で寝ることを余儀なくされているらしい。そもそも睡眠環境にこだわりはなく「寝れればいい」そうだ。

この無頓着さは食にも反映されていて、必要なカロリーをそれなりの味で摂取できれば良いと言う理由から、ジムで見る彼はいつも同じものを口にしていた。

それだけならまぁ聞かない話でもないのだが、その上で更に過酷な環境に身を置いていたいと言う考えがあるのか、通年エアコンをつけずに生活しており、ある時には熱中症寸前にまで自身を追い込んだこともあったとか。

よくよく考えてみるとクライマー目線で見ても異質と言うほかないのだが、自身のことを多くは語らない性格から、これらの奇行を知るのはごく一部の仲間のみである。

つまり端的に言えば病的なまでにストイックでマイペース、それと決めたら決して譲らず、向かう先にどのような障壁があろうとも我が道を行くカリスマ性を持った変態なのだ。

皆に愛され続けるミゾグチさんではあるが、私から言わせればその多くは表面を撫でただけの烏合の衆と言う他ない。

噛めば噛むほど味が出る彼の本当の魅力を何もわかっちゃいない。まぁわかる必要もない。むしろ知らないでいてくれ。私だけが知っていれば良い。僕が一番ガンダムをうまく使えるんだ。このターンXすごいよぉ!さすがターンAのお兄さん!

気持ちの悪い冗談はさて置き、私がミゾグチさんに夢中なのは事実である。

唐突だがミゾグチさんに好意を抱いた女性がいたとしよう。

その女性が彼の牙城に侵入したとして、そこは彼女の理解が及ばない無骨な器具が整然と並ぶ異質な空間である。さながらデスゲーム系のホラー映画の冒頭で主人公が目覚める部屋と言っても過言ではない。

女性は逡巡し、ミゾグチさんを振り返って真意を探ろうとするが、彼はそれを無視してトレーニングを始め、女性を更なる混沌へと誘う。やがて食事の時間になったとしても出てくるのは普段口にしているエナジーバーだ。

ミゾグチさんの側からすれば女性の要望に応じて家へと迎え入れただけでそこには何の意図も存在せず、彼女をもてなす道理はない。普段通り決まった時間に決まったルーティーンをこなして己が肉体を磨き続けるのみ。

ここへ来てようやく女性の中に危機感が生まれ、これまでミゾグチさんに対して感じていた魅力の全てが反転して恐怖へと置き換わる。

整った容姿や清潔感、眩しい笑顔が唐突に作り物めいた何かに感じられ、それが何かと考えるよりも先に駆け出して部屋を後にするだろう。

ミゾグチさん自身はその状況が理解できず、また理解する必要もないと考え、淡々とトレーニングを行った後に酒を煽り、なんの屈託もない表情で眠りにつく。明日もきっといい日になるよね。ハム太郎。

これこそが造詣が深い人間の描くミゾグチさんだ。最高すぎて言葉もない。元々が特別なオンリーワン。

さて話は一旦変わり、先のお話でも登場したおじさん三人組へと移る。

彼らは三位一体と言うか、キングギドラの如く切っても切り離せない深い絆で結ばれた新進気鋭のアイドル集団である。三人で課題を囲んではしゃぐ姿が可愛らしいと専らの評判であり、ミゾグチさんとはまた違ったベクトルで人気を博している。

現状はその魅力を鋭意発掘中と言った状況ではあるが、傍から見るとどんな課題でも楽しそうにトライしているため、そちらを意識する度に私は甘い匂いに誘われたカブトムシのようになって吸い寄せられてしまうのだ。

語るべきことはまだあるが、今回の主役はあくまでもミゾグチさんなのでまた機会があれば語ることとして、そんな意中のクライマーたちが私の預かり知らぬところで飲み会を開き、急速に距離を縮めたとしたらどうなるのか。

・・・全方位への嫉妬である。

ある日訪れたいつも通りのジムで唐突に突きつけられる惨たらしい現実。「グッさん、見ましたよ。この前の飲みで言ってた時間停止物のAV」と、三人組のおじさんが発した言葉を皮切りに、頭を過ぎる疑問の数々。

グッさん?ミゾグチさんのことか?時間停止?AVのジャンル?そんな話をするほど盛り上がっていた?知らない間に開かれた飲み会で?そもそもそんな約束をいつの間にしてた?何月何日の何時何分何秒、地球が何回回った時?下戸だから誘われなかったのか?何故だ?何故・・・

だって私はミゾグチさんと登山に行った帰りに一緒にお風呂にだって入ったし、このまま年老いてお互い独り身だったらシェアハウスで支え合いながら(サトウや未だ登場していないクライマーも含めて)一緒に暮らそうって約束してたのに。

おじさん三人組も私と一緒にセッションするのが楽しいって言ってたよね。だからこのままなし崩し的に四人組になっていつまでも高め合っていけたらって、勝手な妄想だけれど・・・私思ってた。

なのに・・・なのに・・・どうして!!

その時の私は酷く取り乱しており、冷静な判断ができる状態ではなかった。目に入ったデカめのスローパーを手に取り、誰彼構わず殴りかかりたい気持ちだった。

それでも必死で理性を保ち続けて、なんとか振り絞るように「時間停止物のAV以外は全部ヤラセらしいですね」とだけ呟き、陰で独り涙を流した。

男の嫉妬、とりわけクライマーのそれはひどく醜い。

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