クライミングが与えた出会いと人生の変化
重度の人見知り且つコミュ障である私が、人に恵まれ楽しいクライミングライフを送っているのには理由がある。一人のジムスタッフの存在だ。
彼は「ジョジョの奇妙な冒険」と「グラップラー刃牙」をこよなく愛しており、共通の話題があったことや、その人当たりの良さも手伝って、初対面の私でも自然に打ち解けることができた稀有な男だ。ここでは彼をJJとしよう。
JJは雇われのジムスタッフだが、実質的には経営の全てを取り仕切る中心人物である。特にジムの生態系管理には日々注視しており、人と人とを繋げて居心地の良い雰囲気を作ることに長けた人心掌握の鬼と言える。
ジム内に複数存在するコミュニティそれぞれに相応しい人間をそれとなく誘導して輪を大きくするのが彼なりの運営で、実際にその手法は成果を上げており、ジムはいつも賑やかであったから、経営的にも盤石だったのではないかと思う。
先に登場したホウキちゃんと知り合ったのもJJがきっかけだった。
当初偶に顔を合わせる程度だったホウキちゃんの印象はクールビューティーと言った風で、私のような芯のない人間が関わればすぐに薄っぺらな中身を言い当てられそうな怖さがあった。
それが別種の怖さであることは後々に判明するのだが、普通に過ごしていればまず関わることのない人種であることは確かだったので、JJの一言で急速に距離が縮まり、以後私の人生に多大なる影響を与える存在となったことには驚きを禁じ得ない。どんな人間でも受け入れるクライミングの寛容さとJJの慧眼には日々感謝し通しだ。
「この人もFPS好きだよ」
私とホウキちゃんにはFPSの野良専プレイヤーと言う共通点があった。周囲に同じ趣味を持った人間がいない我々にとってリアルフレンドとの協力プレイはある意味悲願とも言える。
気の合わない人間とのFPSほどストレスの溜まるものはないが、戦闘特化のホウキちゃんとサポート特化の私は中々に良いコンビだったのではないだろうか。
後日この状況を耳にしたサトウがゲームを購入し、下心丸出しで輪に加わったことでトリオとなるのだが、歴の浅いサトウへ懇切丁寧な指導を行う一方で、囮として使うために冷酷な指示を出すホウキちゃんを見て戦慄した覚えがある。
ゲーム中の彼女は不機嫌さを隠そうともせずに悪態をつき、終わった後で取り繕うように優しくなるのだが、そのギャップがサトウに取ってはたまらないらしい。
そうして三人でいることが多くなり、ジムでもトリオとして認知されるようになった頃、サトウが当時付き合っていた彼女に振られる出来事があった。延べ三ヶ月と言うスピード破局だ。
私は何の感慨も持たなかったのだが、孤独を嫌ったサトウがホウキちゃんと共に我が家に転がり込んできたことで巻き添えを食う形となった。
ホウキちゃんはゲーム実況者の耐久企画が好きなようで、貴重な休日をそのリアタイに充てることが多いらしい。この時はそれに倣って三人でゲームをクリアするまでプレイし続ける合宿を開催するのだと息巻いていた。
そこはかとなく不穏な陰りを感じつつ、ホウキちゃんの持ち込んだゲームが一本ではなくシリーズであったことがそれに拍車をかけている。私は身を守るために拒否する姿勢を見せたのだが、結局は勢いに押されて従う羽目になった。
私がホウキちゃんと一定の距離を取ろうとする理由の一つがこれだ。感情が昂ると他人を巻き込んで暴走を始める傾向にある。それが楽しいと言う感情であろうと高まりすぎた熱が誰かにとっての害となってしまうのだ。
そんなこんなで始まったゲーム合宿は実際に地獄の様相を呈していた。
長時間ゲームを続けると人は人としての体裁を保てなくなる。現実とゲームの境界線が曖昧になり幻覚が見えて、その幻覚すらも「やめなさいシンジくん! 人に戻れなくなる!」などとこちらを憂うようになる。
腹が減れば粗食が与えられたが、圧倒的に睡眠が足りず、私の人間性は徐々に失われていく。ホウキちゃんは若さとテンションで、サトウは下心を支えとして精神を繋ぎ止めているようだが、私には何の支えもない。
いよいよ冥府の扉が開くぞと言うタイミングで攻略が完了したので、命拾いをしたが、今思い返してもあの時の苦しみが蘇るようだ。まさに阿鼻叫喚と言う言葉が相応しい地獄だった。
勿論辛いことばかりではないし、この出会いがクライミングのみならずプライベートにまで影響を及ぼして、日々の幸福度を上げたことが確かだ。孤独を楽しむ時間は格段に減ったが、拠り所があると万事が良い方へと向かうように思える。
これまでにクライミングを通じて数々の出会いと別れがあったが、JJが手腕を振るっていた頃の繋がりが最も強く残っている。今になって振り返っているのは彼がジムを離れると言う話を聞いたからだ。
彼が離職を決意した理由は知らないが、昨今のジム事情を見るに年々スタッフの負荷が高くなって行く一方で、待遇は決して良くなかったように思える。現場の事情と経営との板挟みで疲弊していたのかもしれない。
クライミングは必ずしも人との関わりが必要ではないが、人と繋がることで得られるものもある。クライミングが楽しいのは当然として、その魅力を最大限に引き出す環境を与えてくれたJJには何度でも感謝を捧げたい。
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