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うずうずしてくる行動力スイッチ

行動できない人間の代表であったわたしの話を聞いてほしい。そして3日坊主の代表であったわたし。


ものすごい勢いで「行動する!」とまわりにわめきちらすように宣言し、一念発起して会社を辞め、3日後には寝転がってYouTubeのお笑いを見て笑い転げていた。



何個サイトを作ってきただろう。



Wordpress、コーディングを自分でして、プラグインたくさん装備して、1か月くらいデザインに凝った。


辞表を自信満々で提出、わたし、成功します!!と言って辞めたっけ。


何度そのシーンをしたのかしら。


何度ツイッターアカウント作ったかしら。
何個インスタアカウント作ったかしら。


3週間以上つづいたものはなかった笑



そこでも自己嫌悪になったり自分を責めたことのないわたし笑

やっぱりこれだわ。と布団にくるまる快感にいつも大喜びしていた。

やっぱり昼間に昼寝できるって何物にも変えられん!こんなに気持ちいいんだから、神様が怒るわけない。祝福してくれているに決まっている!

いっちょ、引き寄せのイメージングでもしてみるかぁ。布団の中で。と言って眠ってしまう。

気持ちいいんだもん!


って思ってたこと、何度あっただろう。


やるぞ!と意気込んでコーヒーを淹れパソコンの前に座り、5分後にはネットサーフィンをしている。家族が通りかかれば、サッと真剣な顔をつくり、いかにも仕事してる風にする。笑




ところが今回はどうやら、あきらかに様子が違う。



確信がある。


「あ、もう波に乗った。」


っていう。


「あ、もうこれ絶対成功するまでやりつづけるな」



っていう静かな確信がある。



ということでわたしはすでに、成功者なのだ。


なぜなら成功するまでつづけるという確信があるから。

行動することになにも「気負い」がない。

そもそも行動している、という意識もない。



呼吸するみたいに楽で、自然で、「がんばる」とか「行動する!」とかいう意識が微塵もない。



行動できない、つづかないダメダメ人間代表だったわたしだからわかること。


かつての私と今のわたし何が違うか。



●かつて



1 壮大すぎる夢だけを見ていた。

2 やりたいこと(幻想)、にこだわりすぎていた。


1 壮大すぎる夢だけを見てたあの時→

ゼロの状態で月収400万!影響力を持つカリスマ的発信をする!とか。


自分ごととして落としこめていなかった。

落とし込めているつもりでも。
「いま!」の「このわたし!」とは関係のない絵空事
この状態だと、行動できない以前に、

なにをどう行動に起こせばいいのか「わからない」に支配されてしまう。


落とし込めているのであれば、必ず行動しつづけている。

2 やりたいこと(=幻想)にこだわりすぎていた→

「わたしって、誰よりもかっこいいデザイン作れるんだから。普通の人とは違うイチモツ持ってるんだから!才能やばいからね?それにだれよりもわかっとるもん!この宇宙のこと!」

こういう状態。これを見せたい。どんなに他人のため、という大義名分を表面的に思っていたとしても、やっぱり奥底には「すごい自分を見せつけたい」が動機だった。


↑この場所にいるときは、自意識過剰オバケになっている状態。自分を誰かに認めさせたいだけ。世界に自分しかいない。

そこから抜け出さないと、本当に誰かにとって価値のあるものは生み出せない。

そして常に意識にあるのは自分しかないため、行動も必然的につづかない。すごい自分をいかに見せるか、っていう動機は、虚像を生み出し、行動をすること自体が自分にとって不自然で嘘をつく行為。

誰も見ていない場所で、一人芝居をむなしくつづけてなければいけないのだから、苦痛でしかない。

そもそも人はそんなもの一瞬で見抜くから。

気負いと気持ち悪さと焦りと、そしてまたむなしい承認欲求の間をぐるぐる永遠にまわりつづける。



●いま


1 めちゃくちゃ地に足ついた望み・目標が明確である。(1か月以内に1円以上の収益化、3ヶ月以内に3万円の収益)

2 読んだ人が確実にそのスキルを身につけられるか、のみに一点集中。



1 めちゃくちゃ地に足ついた望み・目標が明確である→

以前は、月に3万円を目指す?いやだ!やる気出ない。月400万を絶対目指すんだ!というところから頑なに動こうとしなかった。


0→1すらできていないのに。


0から3万円を生み出す、ということは、正真正銘の大成功なのだ。
ということが腹落ちした。

3万円を何もないところから生み出すということは、1億円を生み出すということとなんら変わりがない。

「生み出す」ということにおいて。

これを心の底からわかった瞬間、3万円を生み出すには、というやることが明確に具体的になる。

一気にできそうな気持ちになり、はじめてほんとうの"自分ごと"として捉えられるようになった。


2 読んだ人が確実にそのスキルを身につけられる、のみに一点集中→


すべての目的をこの一点に集中させる。

そうすると、自分が一番トクをする。


まず、行動が呼吸のように楽になり、自然で、「自分」というものが消えてなくなる。

行動していることそのものが喜びに変わり、毎日のなんてことのない生活が活き活きしてくる。

想像しやすいような例を挙げる。


あなたの大好きで大好きでしょうがない大親友と、久しぶりに会えることになった。あなたは嬉しくて待ちきれない。あなたの家にやってくる。

あの子の大好きなメニューを腕を振るって作ってもてなそう。
手作りの、体にいい素材のデザートなら、あの子が一番喜ぶよな。

いつもは億劫な買い物もるんるんで出かける。いつも以上に料理の一つ一つの工程に、意識を集中させる。


いかに美味しい料理を作るか。いかにあの子が喜んで、美味しい!と言ってくれるか。それしか頭にない。


こんな状態だ。

そこには「自分」というものは一切ない。だから行動していることにも気がつかない。行動している意識もないから、めんどくさい、なんて感情があるわけもない。



もしくは、あなたの大事な家族が、あなたにとって朝メシ前のことを教えて欲しいと頼んできた。


あなたは、大はりきりで教える。どうしたらコイツに一番伝わるか、全神経をもって考える。

伝わった?まだわかってないな。ここがわかってないな。

じゃあこれでわかる?

あなたは早くわからせたい。

はやく、あなたと同じようにできるようになって欲しい。その一心で教える。

めんどくさい、という気持ちどころか、行動している、教えている、という意識すらない。


自分を捨てて、他人のために尽くす、というキレイごとを言いたいんじゃない。それが自分にとって、けっきょく一番いいとこどりなのだ。


宇宙はやさしくできている。


あなたにとって一番いいとこどりのことは、かならず他の人にとって、世界にとって一番いいとこどりになるようにできているのだ。




まとめると、

●「いま!!!!」「ここにいるわたし!!!!!」にとって、自分ごととして腹落ちできる目標を掲げる→
「”行動が自然に起こるか” が自分ごととして捉えられているかを見定めるポイント」

●あなたの大好きな家族に、あなたの得意なことを今日という一日で完全にわかるように教えるぞ!という気持ちでコンテンツを作る。

→行動する、という意識すらない状態。相手に責任を持つ。わかるまで。



こうやって振り返ると、かつての私は行動できなかったんじゃない。


履き違えてたんだ。いろんなことを。


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