感情過多社会

一緒に仕事をしている社員がnoteを始めたので、フォローしようとnoteのアカウントをつくろうとしたら、「このメールアドレスは登録できません」と表示された。
すっかり忘れていた。すでにアカウントをつくっていたらしい。

で、ログインしたとたん「6年記念」みたいなバッジが表示された。
どうやら6年前にアカウントをつくっていたらしい。

こういうことはしばしば起こる。
仕事柄、なにかしらのサービスが始まると試してみる習慣がある。
ときには、仕事そのものとしてログインしなければならない。

「仕事としてログイン」するのは、書籍でそのサービスを紹介するために原稿を書くなり、キャプチャを撮るなりするためだ。

ここ20年ほど、書籍やムックの編集を生業としてきた。
要するに編集者である。
そして、編集者たちを率いて本をつくる、いわゆる編集プロダクションの経営を行う経営者でもある。

メディアに携わる者として、また、メディアに携わろうとする者たちをまがりなりにも率いる立場にある者として、メディアの行く末を考えなければならない。

noteもひとつのメディアだ。
社員がnoteを書くのであれば、私も書くしかないだろう。
書いて、試してみて、そして考える。

いつだって、受け身で仕事をしてきた。
上司の指示を受けて、仕事をしてきた。クライアントの依頼に応えるために仕事をしてきた。時代の要請に対して、それに応えるであろうと思われる本をつくってきた。
社員がnoteを書くというので、それに呼応するかたちで書き始める。それくらいしか、私には文章を書くきっかけがない。

編集者の面接で、よく聞く(私も入社面接でたまに聞いたりする)質問に次のようのものがある。

「どのような本をつくりたいですか?」

自分で問うておきながら、私はその問いへの答えをもたない。正直に言えば、「私には、つくりたい本などない」。
強いて言えば「世間が読みたいと思う本を、私が代わりにつくってやる」。それが答えだ。

ひどく傲慢に聞こえる答えだが、その言葉尻は単なる強がり、もしくは自分を奮い立たせるためのものである。
何かに反応することで仕事をつくり、報酬を得て、生きている。
実際は、「世間は何に関心があるのでしょうか? 教えてください! その本をつくるので、お金ください!」といったところだ。

そんな感じで本をつくり始めたのが20年ほど前。その頃メディアは大きく様相を変える。
インターネットの登場、普及だ。
そこで出版業界は大きな危機感を覚える。私は日本での普及が本格化する過程で、出版業界の一員となった。
新卒で入社したのは市場調査の会社だったが、その当時、ソニーや松下電器(当時)への取材にすらFAXを用いていた。

今でも忘れやしない。富士通へ取材に行き、当然のように担当者の名刺をもらった。
私は、そこに書いてあったメールアドレスに、はじめてメールした。自分の名刺にもメールアドレスは書いてあったが、メールは使ったことがなかった。
「日本を代表する総合電子電気メーカーだから、Eメールを日常的に使っているのではないか」
20数年前、社会に出たばかりの若造が真面目に考えて出した結論である。
FAXのやりとりに煩雑さを感じていた身としては、Eメールで情報のやりとりが簡便さになるのではないかという大きな期待があった。

私は、富士通の担当者に取材時の不明点をメールした。
すると!! 1時間後くらいに返信があった。
「さすが富士通!!」
嘘偽りなく、本当に心のなかでそう叫んだ。

少々昔話が長くなったが、そんな出来事を経て、おそらく2年後くらいか、私は出版業界に身を投じる。

インターネットがつくり上げた「情報過多社会」。インターネット黎明期、当初は文字情報が中心であった。さまざまな情報が行き交い、一般の人たちへの普及とともに多くのノイズが混じり始めながら、一方で洗練もされていく。

この「情報過多社会」のなかに出版業界はいなかった。
情報過多社会のなかで、いかに本を売るか。売れる本をつくるか。
かつてインターネットは、本にとってまごうことなき「敵」であったーー。

そして不幸にも、私は情報過多社会に対抗するには最も相性が悪い(と私は思っていた)ビジネス書を多く手がけていた。
今の時代にインターネットを敵として立ち回ることに、何の得もない。
「情報過多社会」において、本は「情報」ではなく「作品」でなくては生き残れない。
15年前の私はそう思った。誰にも言ったことはないが。
そして私は、今もビジネス書をつくり続ける。

そして、あらためて2022年。インターネットがつくり上げた「情報過多社会」を眺めてみると、目に入ってくるのは実に多くの「感情」だ。
多数のSNSが登場し、それらが私たちにもたらしたのは、情報の共有ではなく感情の共有である。

ヒステリックな言い草の添え物となった情報は、感情にコーティングされて、ほかの誰かの目に留まる。
インターネット上で手にできる情報はより数を増し、高度化していくが、それに増して、この感情のコーティングが私にはつらい。

受け身で仕事をしてきた私には、この感情への反応がつらいのだ。
どこに「仕事」を見出せばよいのか。

迷いながら私は、となりの席で本をつくり続ける若き編集者たちの様子を見ていた。
そうしたら、noteを書くらしいというので、読んでみた。

「自分も何か発信しなきゃ!」
そう書かれた文を目の当たりにして、「わからなくても、動けば、いずれわかる」ーー自らに課してきた、そして、会社の者に伝えてきた言葉をあらためて突きつけられたような気がして、少し泣いた。

彼女の気持ちが動いたことに泣いたのか、それとも自分の気持ちが動かされたことに泣いたのか、それはわからない。
いずれにせよ、自分を含め誰かの前を向いた感情のなかに身を置いたことに、呼応して泣いたのだろう。


感情過多社会に応じて、少しエモく書いてみた。
泣いたというのは嘘だ。「泣いた」と書けばエモいのではないかと思った。




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