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7000回転でチタンマフラーを震わせるフィアット・アバルト131ラリー

 ラリーやレースに出場するために台数を限定して造られる特別仕様車のことをホモロゲーションモデルと呼ぶ。
 最近のものではトヨタのGRヤリスなどが代表格だが、少し前ならばランチア・デルタ インテグラーレや三菱・ランサー エボリューション、スバル・インプレッサWRXなどがバージョンアップを繰り返しながら、造り続けられていた。
 ラリーカーに4輪駆動が常識となったのは1980年のアウディ・クワトロからだけれども、その少し前の1970年代では2輪駆動でも好成績を修めることができていた。1977、78、80年のWRC(世界ラリー選手権)を制したのはフィアット・アバルト131ラリーだった。
 このアバルト131ラリーは、フィアットのミディサムサイズセダン「131ミラフィオリ」をベースに造られている。
 131ミラフィオリ自体は、ごくごくオーソドックスな3ボックス型セダンで、4ドア版などイタリアではタクシーに多用されていたほどだ。実用的なスタイリングが施されていて、モータースポーツとの縁はどこにも見受けられない。
 それが、レーシングカーやスポーツカーを専門に造るアバルトの手に掛かると、そんな出自が伺えないほどアグレッシブなものに豹変している。
 131ミラフィオリの2ドア版をベースに、ドアはアルミ製に、エンジンとトランクのフードや前後フェンダーなどはFRP製に交換されている。
 エンジンフードには大きなエアインレットが口を開け、わずかなバンパーと一体化されたエアダムはそのまま大きく張り出した前輪のオーバーフェンダーにつながっていく。
 ルーフ後端にはエアスポイラーが目立たなく取り付けられ、反対にトランクリッド後端には強く反り返ったエアスポイラーが取り付けられている。他にも、ボディサイドの後輪手前にもエアインレットが穿たれている。
 131ミラフィオリの面影はあるけれども、まったく新しい凄味が新たに加わって、これはもう別のクルマだ。
 善良で、保守的な公立小学校の教師が、筋肉トレーニングと肉食主体の食事でマッチョなアスリートになったようなもの。
 前述した、デルタ インテグラーレやランサー エボリューション、インプレッサWRXなどもその変身ぶりが見事で、造形上の強い魅力となっているが、このアバルト131ラリーには及ばないだろう。
 カッコだけではない。エンジンは1気筒当たり4バルブを持つ専用ヘッドが与えられ、ツインチョークのウェバー製キャブレターは、クーゲルフィッシャー製の燃料噴射システムに改められている。リアサスペンションも、固定式から独立式に変更されている。
 1976年のWRCのグループ4規定を満たすための最低台数400台だけでなく、最終的には1000台以上が生産されたという。

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 ホモロゲーションモデルとは言っても、そのままで競技に出場する人はまずいない。各競技の規則の範囲内で認められるモディファイが施されて実戦に投入されることになる。
 ヨーロッパで、そのようにしてラリーに参戦していたアバルト131ラリーが日本にあって、エンジンのオーバーホールが終わったので見せてもらった。
 オーナーの宮川さんが入手したのが2001年。長野県で半ば打ち棄てられるように放置されていたのを、友人とふたりでレストアして仕上げようではないかと譲ってもらったのが始まりだった。
「エンジンが競技用に改造されていたので、簡単には動きませんでした。何を調べればよいかわからなかったし、教えを請うような人も知りませんでした」
 しかし、それから19年が経過する間で、試行錯誤を繰り返し、宮川さんのアバルト131ラリーは見事に完成した。昨年には、エンジンを下ろして、9か月間を掛けてレストアを行い、最終的な調整を経て完成したばかりだ。
「このクルマが欲しくて欲しくて、探しに探してようやく手に入れた、というわけではないのです。縁があって自分の許にやってきて、多くの人々の協力があってここまで仕上げることができたと感謝しています」
 中でも、一気に修復が進んだのは電気の配線をすべて引き直したことだった。その仲間は自分でもアバルト131ラリーを所有しており、メカニズムと電気関係に精通していた。
 特に1970年代のヨーロッパのクルマを日本で乗る時に、電気の配線はアキレス腱になることは僕も体験していた。プジョー504やシトロエンCXなどを1980年代に東京で乗っていた時に、電気系統のトラブルに悩まされていた。
 原因は明らかだった。当時の電線のクオリティが低く、被覆の中のどこかで銅線が断ち切れてしまい通電不良や断線が起きてしまっていたからだった。高温多湿で、ストップアンドゴーの多い東京の街中ではエンジンルームや車体内に熱がこもり、その熱で電線が劣化する。ヨーロッパのエンジニアは、過酷な夏の東京の交通状況など想像もしなかったのだろう。
 被覆に問題がなくても、その中のどこで断線しているかは見えないから突き止めようがなく、根本的に解決するためには電線類をすべて取り除き、引き直して一新するしかなかったのだ。そのためには部品や補機類も外さなければならないから、たいへん煩雑な作業になる。しかし、その過程で見付かる不具合なども処置していくことができるから、レストアの完成度を高めることには寄与することになる。いずれにしても、根気と時間を必要とすることは間違いない。
 サスペンションなどの足回りやエンジンなどはラリーやダートトライアルなどの競技車両の製作に定評のあるガレージに依頼し、その成果も実った。
 宮川さんのアバルト131ラリーのエンジンは、クーゲルフィッシャー製の燃料噴射システムを装備している。その噴射量を制御するスライドバルブシステムが特殊なものだったこともレストアに時間を要した。

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 トランクリッドを開けると、ギョッとさせられた。荷物やスペアタイヤを収めるための空間が広がっているはずなのに、居酒屋の厨房などで見掛ける生ビールの業務用のタンクのようなものが中央に鎮座しているのだ。いったい、これは何なのか?
「エンジンオイルのタンクです。実際に、業務用の生ビールのタンクをふたつつなげて作ってもらったんですよ。ハハハハハハッ」
 このエンジンは潤滑がエンジンが発する高熱を冷却し、パーツの隅々にまで潤滑が行き渡るように、ドライサンプ式に改造されており、それもレストアするためにこのようなタンクを新設し、ポンプやホース類なども改めた。
「12リッターのオイルが入りますが、6リッターぐらいに抑えた方がベストのようです」
 それにしても、生ビールの業務用タンクを流用するとは、よく思い付いたものだ。5名定員から2名へ構造変更申請も行って、ナンバーを取得している。

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 アバルトのオーナーズクラブにも加入し、愛好家たちと交流も増え、知り得るものも増えていった。クラブでは、「アバルトカップ」という競技会をサーキットを借りて定期的に催し、宮川さんはそれにも積極的に参加している。アバルト131ラリーだけでなく、マツダMX-5でも競技会に出場していたので、だいぶ腕を上げた。
 天気が保ちそうだったので、箱根に走りに行った。乙女峠の旧道は道幅が狭く、コーナーの曲率もキツいので見通しが悪い。ファミリーカーには敬遠されるルートだが、そのぶん空いているし、どことなくラリーのスペシャルステージを思い起こさせるから、このクルマにはピッタリではないか。
 幹線道路から旧道に入ると、木々の緑が日光を遮り、薄暗く、ヒンヤリとしている。狩猟犬が喉を鳴らすようなアイドリングから走り出すと、山肌に、アバルト131ラリーの野太い排気音が響き渡る。
 田丸カメラマンをこちらのクルマの助手席に乗せ、アバルト131ラリーを追う。最初は様子を見ながらコーナーをクリアしていっていた宮川さんも、途中からペースを上げていった。対向車線のある一般道なので道幅こそ一杯に使うことはできないが、車線の幅とコーナーの曲率を上手く使ってクイックに向きを変えていく。
 コーナー手前のブレーキングで前輪に荷重を移して転舵。クルマが向きを変え、ロールが収まるか残っているかの境目ぐらいでアクセルペダルが踏み込まれ、後輪に荷重をグッと落とし込みながら加速体勢に入っていく。4輪駆動が主流となった現代のラリーカーとはまったく違った時代の後輪駆動特有のコーナリングフォームだ。道路の傾斜とコーナーの曲率に調和するように、宮川さんはリズミカルに操っていく。
 峠まで一気に登り、撮影を行った。速度を上げていった時の排気音がキャラクターを持っている。電子制御されていない爆発と、それがもたらす駆動パワーが活き活きとしている。

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 麓の駐車場に戻って来ると、初夏の陽射しが眼に眩しかった。
「今日はまだ慣らし期間中みたいなものですから6000回転手前ぐらいまでしか回しませんでしたけど、マフラーを作った時にサーキットで7000回転まで全開にした時の音が素晴らしかったんですよ」
 宮川さんの情熱と仲間たちの献身によってアバルト131ラリーは見事に甦った。世界を3度も制したチャンピオンカーと元を同じくするオーラが漂っている。アバルト131ラリー自体は他に日本に3台存在しているが、競技仕様のものはこれだけではないかと言われている、希少な一台だ。
 だから、これまでと同じようにクラブの競技会でサーキットを激しく攻めたりするようなことは今後は控えなければならなくなるかもと案じている。前後オーバーフェンダーやフードなどにはFRP特有の経年変化によるヒビ割れが目立ってきているし、パーツなどもいつまでも確保できるかどうかわからない。
「131は、完全に“趣味のクルマ”になりました。サーキットでタイムを競うのはMX-5だし、公道で安全に運転を楽しむのはA110ですから」
 小学生の頃はイベントに連れていったりしていた息子も、今では興味を持たなくなってしまった。
「私はいい時代を生きられたのかもしれません。最後にアルピーヌに乗ることもできたし、131もレストアできましたから」
 希少なクルマを持った者の責任感からなのか、宮川さんはアバルト131ラリーのベストコンディションを維持することを最優先に考えているようなのだ。
 失礼ながら老け込むにはちょっと早いと思うのだが、運転するには気持ちもコンディションも整える必要があるクルマであることは間違いないし、ラリーにひと時代を築いた貴重なクルマだ。次の世代への継承を考え始めるのも至極当然なことだ。スライドバルブを全開にして、チタンマフラーを震わせた時の排気音を、ぜひ聞いてみたい。

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10年10万kmストーリー

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一台のクルマに長く乗り続ける人々のルポルタージュ。自動車ライター金子浩久が全国に出掛け、クルマ好きの喜怒哀楽を共有する。

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