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手間が掛かるクルマは馴染んでいきます

Range Rover(1991年型)

 鹿肉はヘルシーでありながら栄養分が豊富で滋味深いことから、近年、日本で急速に注目を集めている。
 牛肉と較べて、カロリーは3分の1、脂質が100分の1しかないのに、その反面、たんぱく質は1.38倍、鉄分は2.3倍も含まれているのだ。
 ジビエ料理レストランが東京を始めとした都市部に造られ始めているが、兵庫県丹波市に、地元で仕留められた鹿の肉と野菜を使ったフルコースを供しているレストラン「無鹿」(ムジカ)がある。オーナーシェフが初代レンジローバーに乗っているクルマ好きだと聞いて、会いに行ってきた。
 丹波市は大阪から80kmあまり、神戸からでも70kmあまり北上した山間部の地域だ。希少で美味なる黒豆の産地として有名で、農業や林業が盛んな山の中の田舎である。
 無鹿の建物は、築100年の古民家をリノベートしたもので、内部は昔の日本の雰囲気とモダニズムが上手に折衷されている。


 鴻谷佳彦さん(40歳)がレストランを始めたキッカケが面白い。家族で旅館を経営していたが、10年前に「兵庫県森林動物研究センター」が近くに設立された。そこの研究員が鴻谷家の旅館に宿泊するようになり、親しくなって野生動物のことをいろいろと教わった。
「研究員の方々から、いかに鹿肉が美味しくて栄養価が高く、ヘルシーであるということを聞きました。それまでは、“臭くて硬いのではないか”という偏見しか持っていませんでした」
 実際に食べてみて、鹿肉の美味しさに驚かされた。また、鹿肉は日本人が古来から伝統的に食してきていたことも知った。西洋から牛肉や豚肉を食べる文化が輸入されるのと入れ替わるように廃れてしまい、鹿肉を食べる文化は1900年代前半に壊滅寸前にまで追い込まれてしまっていた。
「教わったり、調べるほど鹿肉が日本の文化に深く根差したものだということが理解できました」
 食べて美味しく、栄養もある。古来から日本人の有力なたんぱく源だった鹿肉を広め、多くの人に知ってもらいたいという想いから、鴻谷さんは今から8年前にレストラン「無鹿」を開店した。
 僕らがお邪魔した日は平日にもかかわらず、昼間はほぼ満席で、ディナーも予約を必要とするほどの繁盛ぶりだ。


 店が休憩時間に入るまで、鴻谷さんのレンジローバーを借りて、付近を走らせてもらった。今から26年前のクルマだから、パワートレインをはじめとする各部分に時の経過を感じさせるところが多々ある。しかし、ハンドルから伝わってくる感触や運転席から眺める光景には最新型のレンジローバーと共通するものが確固として存在している。
 ゆったりと落ち着いて走り、決して焦るような素振りを見せない。
「レンジローバーには上品さがありますね。クルマなのにどこか人間ぽくて。この時代のクルマ特有なのかもしれませんが、いかにも機械らしい」
 レンジローバーに乗る前は、シトロエン2CV、フィアット・パンダ、フォルクスワーゲン・カルマンギアなどに乗ってきた。時代もメーカーもバラバラだが、鴻谷さんの好みが伝わってくるようではないか。
「ディトリビューターからの摩擦音が聞こえてくるくらいの方が好きです。無音に近いように静かなクルマは好きではありません」
 レンジローバーは音だらけだ。エンジン、トランスミッション、燃料ポンプ、パワーステアリング、エアコンなど、あらゆる部分からの作動音が聞こえてくる。しかし、それがうるさくて不快だとは感じない。走っていることが伝わってくるし、生き物のようでもある。


 鴻谷さんはこのレンジローバーを、2016年、走行距離11万kmの時点で140万円で購入した。そのうち70万円がボディを塗り直し、シートの革を修復して車検整備を受けるのに掛かった分だ。
 年間3万kmは走行するので、この1年間に大きな修理を2回施した。リアのディファレンシャルのギアが割れたのと、走行中に側溝に落ちた時にフロントサスペンションのメンバーが歪んだ時の修理は45万円も掛かった。
 また、ハンドルがグラグラと緩み、段差を越える時に進路が大きく乱されていたのを直すのに、遠く新潟県の専門業者からパーツを取り寄せたりして、約20万円掛かった。
 死角をなくすために、モニターカメラやオーディオを新調したりもしてある。
「故障は困りますけれども、手間が掛かるのは嫌ではありません。直していくうちに、自分に馴染んでいきますからね。パンダは手が掛かりませんでしたが、2CVはいつもどこかを直していました」
 なにごとも、自分で手を掛け、自分のものにしていくという姿勢が現れている。


 鴻谷さんは、忙しい。レストランを切り盛りするだけでなく、家業の旅館も変わらず手伝っているし、地元の農業高校の非常勤講師も勤めている。週に一講座「農家の起業経営」
を教えている。
 農家の起業経営とは、流通と小売まで視野に入れた農家の仕事の進め方である。これまで、農家は農作物を作るだけで仕事は終わっていた。作った作物は農業共同組合に卸すだけで良かった。
 しかし、時代が大きく変わったことによって、それでは済まなくなっていきつつある。末端の消費者が何を求めているのか、社会が何を必要としているのかを探りながら作物を作らなければ、農家であっても生き残れない。昔のように、作りっ放しでは駄目なのだ。
 それと関連して、鴻谷さんは「食の6次産業化プロデューサー」も農林水産省から任命されている。「6次産業化」とは聞き慣れない言葉だが、1次産業(農業、漁業、林業など)と2次産業(製造業、加工業)と3次産業(サービス業)の1と2と3を掛け合わせた(1x2x3=6)概念だ。考え方としては、「農家の起業経営」に準じていて、作るだけでなく、加工や製品化、販売までを視野に入れたビジネスを総合的に展開するにはどうしたらいいか考えている。
「レストランを始める時には、“大阪のような都会でないと客が来ないのでは?”と心配もありましたが、お客さんに丹波に来てもらいたかったですね」
 単に鹿肉の料理を提供するだけでなく、丹波の良いところを体験してもらいたかった。
「丹波では、鹿肉だけではなく美味しい野菜やキノコ、川魚も採れます。それらも一緒に楽しんでいって欲しい」
 鴻谷さんと話していて感じるのは、強い郷土愛だ。生まれ育った丹波の良いものを知ってもらいたい、体験してもらいたいという想いが溢れている。


 ランチの客が帰ったところで、僕らもコースを注文した。前菜は正方形に区切られた器に9種類もの丹波の野菜料理が盛られていて、どれから食べようか楽しく迷ってしまう。
 鹿肉はレバーのムース、モモ肉のローストとソーセージ、スネ肉のスライス。レバーのムースは癖がなく、それでいて風味が豊かだ。モモ肉のローストは香ばしく、スネ肉のスライスは柔らかい。いずれも、鹿肉ならではの味と食感が見事に活かされており、牛肉や豚肉、鶏肉などとの違いが際立っている。
 意外なことに、顧客は地元よりも県外や他の地方からが多い。最近では、外国からの旅行者も増えてきた。評判を聞き付けて遠くから食べに来てくれるのはありがたいのだが、“地産地消”という言葉の通り、地元の人々にもっと食べてもらえるようにするのが次の課題となっている。それが鹿肉の美味しさの認知をもっと広げることになり、ひいては6次産業化を推し進めることにもつながるからだ。
「“丹波の黒豆”と有名になったように、やがては鹿肉も“丹波の鹿”と呼ばれるようにするのが目標です」
 物腰も柔らかく、言葉遣いも穏やかなのだけれども、鴻谷さんは郷土を愛するだけでなく、郷土を魅力ある土地とするために自身を叱咤激励しているのである。これも愛の一種である。


 鴻谷さんは、現在、心踊る計画を進めている。来年、さらに山の中に入っていった土地にレストランとともに引っ越し、訪問客が宿泊できるオーベルジュに発展させるのだ。築120年の古民家をリノベートする作業がこれから始まる。
「もっと広くて、泊まれるようになりますから、お客さんにゆっくりとしてもらえます。加えて、11歳の娘と5歳の息子を、僕の仕事を見せながら育てたいと以前から考えていました。僕も家族の仕事を見ながら大きくなったので、子供たちも山の中で仕事と生活をひとつにして育てたい。それがかなうのがうれしいですね」
 鹿肉と丹波の野菜のコース料理を堪能して、店の外で田丸カメラマンが鴻谷さんとレンジローバーを撮影し始めた。


 そこには、建物と年代物のレンジローバー、そして鴻谷さんの三者が調和して存在していた。まるで、はるか昔から、それこそ、このレンジローバーが造られた1991年からこうしてここで営業しているかのような確固とした存在感があった。その存在感は、鴻谷さんの想いと生きる姿勢に裏打ちされたものだ。クルマに求めるものと生活がきれいに一致している。これこそライフスタイルと呼ばれるべきものだ。

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com


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