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【特別版 第4回】記憶力

書籍「憧鉄雑感~皮膚科医による痛快!鉄道エッセイ~」の発売を記念して、本書から選りすぐりのエピソードを全5回にわたって、毎週note上にて特別公開しています!

第4回は「記憶力」がテーマです。

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元来記憶力が悪いのに、これだけ病名が山ほどある皮膚科学を何故選んだのであろうか。しかも、寄る年波でただでさえ少ない皮膚科学的知識が、どんどん忘却の彼方となり嘆かわしいことこのうえない。
〝この皮疹。何か読んだ気が…〞などというのは後で調べればよいのでまだマシであり、気づかぬうちに流している疾患があると思うと空恐ろしく、そろそろ隠居せねばならぬ。

過日、日本を代表する皮膚科学者の先生方とお話をさせて頂く機会を得た。驚くべきことに、物忘れについて話されており仰天した。筆者の何千倍も知識を持つ天才の先生方であるが、凡人の筆者はある意味ほっとしたのも事実である。

ただ、唯一自慢を記せば、皮膚科学はいとも簡単に忘却するものの、鉄道に関しては、かなり記憶が正確であることである。いや、あったというべきであろう。筆者にとって最悪な事件がおきてしまった。

早朝から大好きな東海道新幹線で移動し、次の職場に向かった。鞄から仕事道具を取り出すと、愛用するデジタルカメラが見当たらない。そういえば、確か新幹線車内で撮影をして、隣の空席に鞄とともに出しっぱなしにした記憶がある。こともあろうに電車内に忘れてきてしまったのである。

自信を木端微塵にされた時、人間はパニックになる。無論、他人にみられて困る画像はなく、そもそも憧鉄雑感用のカメラである。文章を記すのは容易いことであるが、本稿には必ず写真を入れねばならぬ。このため、鉄道利用の時は目的後回しでとにかく撮影している。結果、信号機や自動券売機など一般には無意味と思える写真が多い。剰えホームなどを撮影しているため、一歩間違えれば盗撮行為と誤解されよう。カメラから筆者が割り出され、公安に逮捕されようとも金原出版は非情にも知らぬ存ぜぬの一点張りであることは火を見るよりも明らかである。

とにかく、JR東海のお忘れ物センターに電話をする。存外親切な女性が対応し、ことの詳細を訊かれる。忘れ物発見率を上げるコツはとにかく状況を詳細に伝えることである。皮膚科学的内容ではないため、乗車列車と号車と席番、カメラの種類、東京駅終着時に置いてきたことを伝えた。

ついでに乗車したのは到着後回送で入庫する運用の東京交番検査車両所所属で、間も無く廃車予定の700系であることも伝えようかと思ったが、オペレーターは鉄道ファンとは限らず、過剰情報でありやめておいた。
〝発見された場合にのみお電話します〞祈るような気持ちだ。実は、終着直前そろそろ鉄道敷地内でも忘却が始まるリスクを考え、座席情報を記録すべく切符をカメラで撮影していたのである。航空機と異なり切符は回収されるので、一般人が忘れ物対策としてしばしば使用する手段だ。それを忘れるなど、いくら本稿が笑いを求められる駄文であるとはいえ、ドリフターズのコント以外の何物でもなく、全く余計なことをしたものである。

暗澹たる気分ながら何とか仕事を終え、帰路に就く。金原出版は代替カメラなど進呈してくれるであろうか…と思う筆者の眼に不自然な鞄のポケットの膨らみが映った。果たして、あろうことか今や恋人より愛おしいカメラがそこにあった! 医学的には鞄に入れたことを忘れるほうが遥かに問題であろう。しかし、鉄道敷地内での忘れ物ゼロ更新のほうが、筆者にとって遥かに重要なのである。病名などどんどん忘れよう…と妙な決心をする筆者であった。

4記憶力

折り返し運転では清掃員が忘れ物に目を光らせる。このため入庫列車に比べ、比較的早く発見される。


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【書籍のご紹介】

金原サムネ

・著 者:安部 正敏
・定 価 :2,750円(2,500円+税)
・A5判・298頁
・ISBN 978-4-307-00489-3
・発行日:2020年9月25日
・発行所:金原出版

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【 電子書籍 】
■ M2PLUS

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https://store.isho.jp/search/detail/productId/2005398760/

【著者紹介】
安部 正敏(あべ まさとし)
医療法人社団廣仁会 副理事長 兼 札幌皮膚科クリニック院長。長崎市生まれ、島根県立松江南高校卒、群馬大学医学部卒、同大学院医学系研究科修了。医学博士。父は医師免許をもつ真打の落語家“春雨や落雷”。群馬大学医学部皮膚科、米国テキサス大学サウスウエスタンメディカルセンター細胞生物学を経て現職。東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学非常勤講師。日本臨床皮膚科医会常任理事。日本乾癬学会理事。全国の“乾癬患者会”サポートにも取り組む。『皮膚科の臨床』(金原出版)にて「憧鉄雑感」を好評連載中。