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名無しの島 第10章 異形の影

 水落圭介は腕時計を見る頻度が、増えていた。

まるで、地下鉄のホームにいる時みたいだ・・・

次の電車は何時だ?とでもいうように。

水落圭介は、そんな自分を苦笑いをする。

 井沢悠斗を先頭に森を進む一行は、

いつ終わるともわからない歩みを続けていた。

水落圭介自身も、疲労がつのっていた。

日頃からジョギングやジムで体を鍛えるように心掛けてはいるが、

舗装路と起伏の激しい場所とでは、疲労感がまるで違う。


アウトドアの経験がほとんどない斐伊川紗枝はもとより、

有田真由美や小手川浩も、その表情に疲労の色を濃くしている。

とはいえ有田真由美はカメラマンだ。

時々、足を止めては周囲の森林に

一眼レフのデジタルカメラを向けて撮影していた。

圭介は再び腕時計を見た。午後5時近い。

まだ2時間しか経っていないのか。

所沢宗一の『はやぶさ丸』から降りたことが、

はるか昔にさえ感じた。あと1時間もしないうちに日没になるだろう。

水落圭介の不安は増すばかりだ。

 森の中はさらに暗くなった。目を凝らさないと、行く先も見えない。

雑草や蔦に重い足をとられながら、なんとか体を運ぶ。

5人とも無言だった。時おり聞こえるのは

木々の葉が揺れる音と、野鳥の囀りだけだ。

水落圭介が、今夜はこの森の中で野営を余儀なくされる事を覚悟した時、

前方を歩く井沢悠斗の弾んだ声が聞こえた。

「ここなら、ベースキャンプにいいんじゃないか?」

井沢の後を力無く歩いていた4人が、

期待の表情に変わり、その場所に急いだ。

皆、これまでの疲労を忘れたかのように、

井沢悠斗の元に小走りで近寄った。

見ると、確かに40平米くらいの比較的平坦な空き地がある。

といっても、今まで来た樹木の密生した道のりより、

木々の姿がまばらだというところだ。

だが、雑草を刈り込めば、テントは張れそうだ。

井沢悠斗はリュックを降ろし、手早く雑草をマチェットで切り払っていく。

10分ほどで、直径8メートルほどのテントスペースが完成した。

5人はリュックからそれぞれ、簡易テントを取り出した。

5つのテントは、円の中心から3メートルほど離して、

取り囲むようにして組み立てられていった。


皆、簡単な組み立て式で、テントをペグで固定していく。

井沢悠斗は言うに及ばず、水落圭介、有田真由美、

小手川浩も予行練習をしていたおかげで、

難なくテントを張っていった。やはり手間取ったのは斐伊川紗枝で、

ほとんど井沢が張ってやる有様だった。

井沢悠斗が折りたたみのシャベルを使って、

円形状の空き地の中心を掘り返していく。

20センチほどの浅い穴を作ると、周辺から枯れ木を集めた。

枯れ木の量は、大柄な井沢が両脇に抱えるほどだ。

水落圭介たちも井沢に任せっきりで、ただ傍観しているわけにはいかない。

各自それぞれに周辺の枯れ木を拾って回った。

十分な枯れ木が集まると、井沢悠斗は円錐状に組め立てていった。

余った枯れ木は椅子代わりに、5箇所に積み上げられる。

井沢は円錐状の枯れ木の中に、持参した新聞紙を細かく千切った。

火種にするのだ。彼はジッポのライターで着火した。

しばらくは頼りない感じの火種だったが、枯れ木に火が移ると、

勢いよく燃え始める。その炎を見て、水落は落ち着きを取り戻した。


これほど炎が、安心感を与えるものだとは思ってもみなかった。

特に水落圭介は、自宅マンションではIHヒーターを愛用している。

火の不始末を怖れてのことだ。

それだけにこれだけの大きな炎を見るのは久しぶりだった。

 圭介はその橙色の炎から視線をはずすと、周囲を見渡した。

うっそうと繁る樹木は、一見、巨大な黒い壁のように見える。

まるで自分たちが、森全体に監視されているような気分になる。

時はすでに夜になっていた。圭介は腕時計に目を落として、

文字盤を見るため、スモールライトを点けた。

文字盤が青白く浮かび上がる。

長針と短針は午後9時過ぎをしめしていた。

心なしか、風もゆるやかになっている。


だが、自分だけなのだろうか?

やはり、植物の匂いの中に、微かな生臭さを感じる。

5人はそれぞれに、椅子代わりの枯れ木に腰掛けた。

井沢悠斗はともかく、他の4人に安堵の色が浮かぶ。

するとげんきんなもので、圭介は急に空腹感を感じた。

他の4人も同様だった。

井沢悠斗は飯盒を取り出して、

それに無洗米を2合ほど入れて水筒から水を注ぐ。

彼は1.5リットル水筒を3個も用意していた。

小枝を利用した支えを造ると、焚き火のすぐ傍に設置する。

さすがに手馴れた動きだ。

他の4人はリュックから缶詰を取り出し、リングプルを開けて、

圧縮されたパンを取り出すと、パクついた。

小手川浩は水筒の水を、喉を鳴らして飲んでいる。

まるで水筒の水全部を、飲み干そうとするかのような勢いだ。

「小手川君、いつ飲料水が補充できるかわからないから、

 喉を潤すくらいにして、節約したほうがいい」

井沢悠斗が苦笑いしながら、軽い口調で注意した。


 空腹が満たされると、いままでの疲れが薄らぎ、元気が出てきた。

5人の表情にも、時おり笑顔が見られる。

「夜に行動するのは危険だ。すぐ傍には断崖があるし、

 たぶんハブなどの毒蛇もいるだろう。

 今夜は休んで、明日の朝早くにここを出発しよう」

井沢悠斗が炊けた飯盒の飯をかき込みながら言った。

「でも、どこから探索します?」と有田真由美。

「グーグルマップで島の全体像は把握している。

 このベースキャンプは島の南端にあたる。探すとなると北の方角だな」

 井沢はあらかた飯を平らげて言った。


 それから小一時間ほど打ち合わせをすると、全員寝床に着いた。

テントの下が踏み慣らされた草ともあって、柔らかく寝心地も悪くない。

水落圭介以外のテントから、早くも寝息が聞こえてくる。

だが、圭介はなかなか寝付けなかった。

テント越しに、まだ燃え残っている、

焚き火の作る淡い光の揺らめきを見つめていた。

そのくすぶる炎の揺らめきが、呼び水になったのか、

次第に眠気が襲ってきた。

今日1日の疲れが出たのか、全身から力が抜けていく。

圭介が夢の中へ誘われる直前、彼の目に何かが見えた。


 それはテント越しに、残り火に照らされ、シルエットしか見えない。

まるでスクリーン越しに、影絵をみているようだった。

その影は・・・大きかった。人間サイズ、いやもっと大きいか。

影だけなので、正確な大きさはわからない。

それ・・・その物体はゆっくりと這っていた。雑草を踏む音まで聞こえた。

圭介はまどろむ意識の中で、少年の頃、

昆虫図鑑で見たマイマイカブリを連想した。

カタツムリを主食とする甲虫の一種だ。


ただその物体は、前足が4本、後ろ足が2本のように見える。

そんな異形の生き物はいない・・・それに大きすぎる。


夢だな・・・水落圭介は、そのまま深い眠りに落ちた・・・。

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