天国はあると信じた方が、都合が良い

『葬送のフリーレン』で一番印象に残っている言葉。

この世界には、本当かどうかが分からないことが多い。
本当かもしれないしそうではないかもしれない。

虚数も9次元も、素粒子もダークマターも、本当にあるかは分からない。
そもそも、自分が今生きていることさえも、夢かもしれないし、本当かどうかは分からない。

それが知りたくて、中世にてデカルト達は議論した。
自分たちが認識しているものの中で、何からが本当なのかと。

そして、一番前提として出てきたのが、「我思う、故に我あり」だった。

どこからが本当で、どこからが本当ではないのか。

歴史上起きたことは、全て、誰かが見たわけではないのだから、説に過ぎない。
だから全てフィクションだ。と言うこともできる。
が、ここで面白くないのは、それを言ったらおしまいだからである。

ピラミッドがあることは事実。誰かがきっと建てたのも事実。
ただ何のために、あのような形で、どのように作ったのかはまだ分からない。
もしかしたら、全く理解もできない技術があったのかもしれないし、そもそも人間以外が作ったかもしれないし、実は特に理由はないかもしれない。

でも、そのようなものに私たちが現代でも惹きつけられるのは、
未知なものがあり、それがあると信じた方が都合が良いからだろう。

虚数だって9次元だってあるかどうか分からないけど、
あると信じたらGPSが使えるようになった。

あると信じたら都合が良いものはたくさんある。
逆に、あると信じたら都合の悪いものもある。

その都合の良さと悪さは、それぞれ個々の価値観によって異なるだろうが、
みんなにとって、より多くの人にとって、信じた方が都合が良いのであれば、
それを信じること自体は、決して悪いことではない。

では、出来るだけ多くの人が信じた方が都合の良いことはなんだろうか、と考えると、
人は等しく最後は死に、死んだ後は、天国に行って楽しく過ごしている。
と信じることは、誰も傷つけないし、むしろ多くの人の心を救う。

不条理なこの世界を、都合よく信じて救われる手段がないものかと
生まれたのが神様なのかもしれない。
そして、自然現象を都合よく神様とリンクさせて信じたのが日本。
それらを一神教として理解したのがあちらの世界なんだろう。

私たちは結局のところ、自分の都合の良いようにしかこの世界を理解できない。
だからこそ、それにはバイアスがあることを理解し、自分にとって都合の良いことが、都合の悪い人もいるだろうという視点を持つ訓練をする必要があるのではないか。
それがリベラルアーツの目的だろう。

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