日常最高系のSNS発信する人、リアルで会うとあまり楽しそうではない説
信頼のおける人のなかで、プライベートをSNS発信をしている人がいない。
本当に知りたい人、会いたい人は個別で連絡を取れば良いし、連絡を取らなくても、
お互いにお互いのあり方が刺激となり、切磋琢磨できるような人がいれば良い。
プライベートのSNS発信はポジティブな部分を発信する人がほとんどだ。
「こんなに私の毎日は楽しい!」「人生最高!」と発信しているが、
なぜ発信したいのか、楽しいならその場を楽しむだけではなぜダメなのか。
いくつか理由は考えられるが、勝手に想像すれば、2つあると思う。
1つが、自己ブランディングだろう。
それによって、仕事などに繋げたり、新たな出会いを求めている。
2つ目は、自己呈示による、承認欲求を満たすことだろう。
自分は日常を楽しんでおり、周りから称賛、承認されたい。
その上で、いいねが欲しいとなる。
どちらの理由にしろ、共通する偏見としては、
人生最高!と発信している人と、面と向かって対話すると、
ほとんどの場合、実際には楽しそうではない。
対話しなかったとしても、無理している感をとても感じる。
そう感じてしまうのは、こちらが捻くれているから、
本当は楽しくないのに無理しているという先入観のもと見ているからというのもあるかも知れないが、そう譲歩したとしても、やっぱり楽しそうではない。
芸能人やアイドルが、テレビの前とプライベートでは全く違う人格のように感じるみたいな現象と近しいと思うが、日常発信系の人たちは、周りからの印象を操作したい。
周りからの目を気にして自己表現をする。そのような自己表現を自己呈示という。
周りから承認、称賛されるために、自己呈示を繰り返す。
周りから求められる(と感じる)自分を作り出す。
ただ、その承認された自分は、自分ではなく、自己呈示によって作られた“自分“なので、
承認されたとしても、本当の自分が承認された訳ではないので、"自信"に繋がらない。
周りから求められるものは常に変化している為、その変化に対応し続けることは、自分を消費することに繋がる。
特に、いいね(承認)をより多く欲しいと思うならフォロワーを増やしていく必要があり、フォロワーが多くなると、求められる自分が多様化し、どんどん正解が分からなくなる。
自己呈示によって、印象をコントロールするのも困難になり、
いいねによって承認されていたとしても、自信にも自己肯定にも繋がらない為、ただただ人生に疲れていってしまう。
じゃあ、自己呈示せずに、自己開示をSNSでやれば良い、と思って、
愚痴や文句、悩みを吐露している人もいるが、それは自己開示ではなく、かわいそうな自分、寂しい自分を作り出しているだけで、
本当は慰めて欲しい、かまってほしいだけであり、それもまた自己呈示となる。
自信をつけたい、幸せを探求するなら、
自己開示ができる場を作る必要があり、自己開示ができる場は、
信頼がある場(関係性)の中にあり、信頼関係は、自己呈示からは生まれない。
だから日常充実系のSNS発信をしている人とは、信頼関係が築けない気がする。という偏見。
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