世界の複雑性の面白さ

世界の複雑性への探求は、終わりのない問いである。
世界は常に諸行無常に変化し続け、私たちが認知していることは、何かと区別することでしか認知できないからこそ、そのもの自体をそのまま認知することはできない。

私たちは、目に見えない形で証明してもらえないと信用しきれない。
だからこそ、理論だけでなく、立証が必要になる。

ただ、目に見えて確認できたからといって、本当にそれは確実に絶対に正しいとは言えないということを忘れてはいけない。

量子力学の基本概念の1つで、「相補性の原理」というものがあり、これは、エネルギーと持続時間、あるいは位置と運動量のように、“物体は同時に観察したり測定したりすることが不可能な、ある対の相補的な性質を備えている”というものである。
わかりやすく例を挙げれば、何かを捉えようと思う時、たとえば、視覚的に捉えた場合は、光が必要になる。光は波長であり、環境によって光の波長は変わるし、強い重力によって曲がることも分かっている。
私たちが認知できない多様な要素によって一つを捉えており、光が当たることでモノは捉えられるが、逆に光が当たらない場合のモノは、捉えることができないということであり、光なしの(ありのまま)モノ自体は確認できないということになる。

私たちの体は、たくさんの細胞でできており、それらの細胞は、多くの原子でできており、それら原子は、素粒子というものすごい小さなものでできているらしい。
原子に対しての素粒子の大きさは、銀河系に対しての蟻程度の大きさだという。全く想像できないほどの大きさの対比だが、現在の量子力学、物理学からしたらほぼほぼ合っているらしい。

当たり前に利用しているGPSの機能は、9次元を想定した理論でできているらしいし、私たちが認知できなかったとしても、この世界を、ないものをあるものとして仮定することで理解しようとしてきた人の知恵によって、私たちの日常はできている。

歴史も、科学も、数学も、目の前にはないものだとしても、きっとあるから今があり、今があるならきっとあった。
100%の真実なんてないだろうが、だからこそ、その未知への希望と俯瞰が、新たな世界を作っていくのだろう。

話を戻せば、世界の複雑性への探求姿勢があればあるほど、この世界の複雑性(未知さ)を理解することができ、正解はないことがわかる。
しかし、複雑性を理解せずに、“分かりやすく“、“簡単に“知る行為は、探求姿勢をなくし、この世界には、正解があると感じてしまう。
正解ではない情報を正解として信じ、それに沿ってだけで行動していくと、それがある一定自信となり、正義になっていき、自分とは違うものが出てきた場合は、自分の正義を相手に押し付けてしまう人が出てくる。
世界は複雑で未知であり、常に問い続ける姿勢があれば、正義を押し付けることはない。

世界の複雑性は、知識でも、感性でも、どの入り口を通したとしても、探求していく過程で、理解することができる。
争いのない世界を作るためには、問い続ける姿勢を身につける教育が必要であり、問い続けるためには、世界の複雑性の面白さを体感しておく必要がある。

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