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お笑いのミカタ

僕はお笑いオタクである。これはもうはっきりと言える。

特にM-1グランプリに関してはかなり愛情が深い。
GYAOで予選動画が挙げられる(最近はYoutubeでも見られるようになった)と、東京と大阪の3回戦は全組見るようにしている。睡眠時間を削ってまでも見るその姿は、義務感に駆られ笑いを摂取していく化け物のようである。

決勝の日は一人でピザを注文してパーティーしながら見るのがここ数年の決まり。去年は奮発してワインも買っちゃった。

近年、お笑いの形は緩やかに、しかし少しずつ変わっていっている。
それはテレビ一極集中からYoutubeやSNSでのバズが影響力を高めたことによる変化、旧態メディアという立ち位置であったラジオの復活やPodcastといった音声コンテンツの充実、といったいわゆる「箱」的な変化もあるし、
「傷つけない笑い」それに付随する容姿批判、パワハラ・セクハラなどといったポリコレ意識の広まり、「あちこちオードリー」や「やすとものいたって真剣です」に代表される、お笑い芸人の「裏側」にスポットを当てた企画、などといったコンテンツの変化もある。

これらは相互に絡み合った問題になる。それをここで一から話すと大変だから簡潔にしておく。
例として簡単に述べると、やはりナインティナイン岡村さんのラジオ炎上が分かりやすいだろう。
あれは取り扱うトピックが炎上した要因ではあるが、
そこにはSNSやRadikoといった視聴メディアの増加も一因としてあるだろう。
少なくとも30年前は問題となった放送をいつでも聞ける環境も無ければ、放送の数時間後にそれを文字起こしのように報じるメディアも、それを一般人が拡散できる媒体も存在しない。
そもそも30年前にあの言動が謝罪に追い込まれることもなかったように思える。
そもそも僕が中学生のころにAKBのメンバーが極楽とんぼの加藤さんに足つかまれて振り回されてたもんな。


僕が今日言いたいのはそういう国民全体に漂う「お笑いの空気感」じゃなくて、そこから一歩先、お笑い好きの人たちの「尖り方」にクエスチョンを持ってるよ、っていう話。

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僕だって「好きな芸人誰?」って言われて答えたら「尖ったのが好きやな」って言われるタイプだと思う。

「真空ジェシカとコウテイ」と答えてしまうので。


彼女を喜ばせたい、という思いから、誕生日ケーキをひっくり返してしまう川北さんが好きだし、親と仲が悪いガクも好き。最近仲いいコウテイ好き。


しかも困ったことに彼らのような芸人を最近はより芸人らしいと考え、そのスタンスに共感する、いわばお笑いのお笑い以外の部分を見る視聴者が増えた。この原因はお笑い芸人の地位向上とか、M-1やKOCなどお笑い賞レースの権威性向上など、前述の理由と被るところがある。


そりゃ芸人は失敗が武器になり輝く職業ではあるけれど、それをファンが無条件に持ち上げるのは違うかなー、と思ってる。

このように芸人の外を見る人の怖さは、彼らのような尖った芸人を盲目的にほめてしまうところである。
芸人にとっては理想のファンであることには間違いないのだが、僕視点で言うと「うそだろお前」となってしまう。

本当にその人のすべてが好きな人もいるのかもしれないけれど(いたらすみません)、嫌な面だってあるはず。面白いや好きの割合が高い人がファンになる、というのが一般的な流れのはずなのに、「ファンだから彼/彼女のすべてが好き」になっていて、それはちょっと違うよな~~と思う。

ファンになって何かを盲目的に好きになることで、大方排他的になる道に進んでいく。

EXITの漫才を面白いと思うことと金属バットの漫才を面白いと思うことは共存するのか。
ランジャタイを面白いと思う人と和牛を面白いと思う人が同一人物たりうるのか。

出来ればお笑いを正直に、衒いなく見る人が増えてほしいなと思う。

ちなみに僕は真空ジェシカのボケでゲラゲラ笑うけど、くまだまさしでそれ以上笑える。
いまだに「トゥース」でニヤニヤしちゃう。


なるべくフラットに見よう。少しでもお笑いをお笑いのまま、守っていかないと。僕はお笑いの味方でありたい。


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