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一億総ギャル化、まじサイコー

ギャルはマインドである、といっていたのはアインシュタインだっただろうか。多分違う気がするな。


王道こそ最強、を地で行くギャル道の師範代

これはみちょぱで間違いないんだけれど、
みちょぱの何がギャルか、言われると一言では言えないところで。
ギャルパラメータの五角形がパンパン、それがみちょぱなのである。

今日は「ギャルとは?」についてテレワーク中に考えていたことを文字起こししたものです。仕事しろ。


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ギャルの見た目はそもそも時代とともに変化している。
昔はアムラーから派生して生まれた「コギャル」であったり、ある種そこからの亜種とも言える「ヤマンバ」「マンバ」というのが過去には誕生している。
加えてステレオタイプなイメージとして今も根強く残る
「ギャル=肌を焼く」といったイメージを払拭した「白ギャル」など、
ギャルを見た目で区切るのはあまりに視野狭窄が過ぎる。

あくまで外見はギャルを成す一要素として存在はしているが、ギャルを定義するファッションはあまりに広過ぎる。

ともすれば、やはりギャルというのは「マインド」の比重が多くを占めているのだと思う。


「マインドをギャル化」とは


最近のZ世代は「マインドギャル」に憧れている人が多いらしい。

マスクをつけたままの学生生活や終わらない不景気に、鬱々とした気持ちを抱えている彼女ら(彼らも含まれていると思う)は、マインドをギャル化することによって強さを手に入れている。

出典:https://www.businessinsider.jp/post-251417

マインドギャルの定義は上記のようなものになるらしい。

①と④、②と③は似ているので、実質は二つになると思う。

A、常に前向き、ポジティブな気持ちで生活する。
B、他人と違っても、自分の意見を大切にし、それを主張する。

これ、毎日仕事に追われてる、生きがいを感じられなくなっている社会人が見たら、死にたくなるくらい刺さる内容だなと思う。
僕が実際そうだし。

「陰キャ」や「メンヘラ」という言葉が一般に使われるようになってしばらく経つが、最近はあまりにこの言葉は浸透し過ぎているような気がする。
一億総陰キャ、一億総メンヘラの時代に近づきつつある今こそ、ギャルのマインドは強い。

加えてギャルは以下のような特性を持っている。

C、「私はすごい」ではなく「ウチらすごくね?」

何が言いたいかというと、ギャルはギャルを貫く上で大事な「自己肯定感」を彼/彼女らは相互で高めあうことができる。
この世の多くを陰キャが握っている世界で、ギャルが未だ根強く残ることができる理由は、この自己肯定感の相乗効果にあると僕は思っている。
陰力(いんりょく•••陰キャの力)に対して、ギャルのコミュニティで高めあったメンタルが対抗しているのである。

両親に「そんな格好やめなさい」と言われる。
男たちに「そんなんじゃ男ウケ悪いよー」と言われる。

そんな雑音をかき消すのは、
Bのマインド「ウチのやりたい格好なんだけど」
Aのマインド「そんなん気にせずマック行こー」
そしてCのマインド「今日もチョー楽しい、ウチら最高じゃね?」
なのである。

外野の声を跳ね除け、そのマインドを「ウチら」で強くしていく。そうしてギャルは毎日をサイコーに楽しんで生きていく。

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あともう一つ、ギャルのポイントがあったな。

ギャルは友達想い


つまり、これを読んでギャルになろうかな、と考えた人をギャルはバカにしない。その考え、サイコーなのである。


僕もギャルになる。いつかギャルのみんなとギャル神殿立てて、
みちょぱの銅像を飾るんだ。


Fin



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