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子どもの頃、こんな子だった。

去年の10月ごろ、甥っ子からのリクエストで今までの人生をまとめてみた文章があるのですが、その一部をたまにあげてみます。これは母親との関係性の部分です。

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子どもの頃を考えると、ある一枚の写真が思い浮かびます。
それは私が3歳ぐらいの時のもので、髪はショートでちょっとボサボサ。

白のエプロンではなく前掛けと呼ばれるものを着て(当時お気に入りだったらしい)、赤い毛糸のズボンの上に長靴を履き、右手には木の棒を握りながら、畑のど真ん中を悠々と歩いている写真です。この写真を見ただけでも、おてんばだっただろうと想像がつきます。

同時にこの写真を撮った、父親や母親の声が聞こえてきそうです。
「クスッ!この子はきっと間違えて生まれてきちゃったね。もともとは男の子だっただろうにねぇ・・。」とね。


その頃、記憶に残っているのは・・・
例えばダンゴムシをみつけては、突っついて団子にして転がしてみたり、ジグモという壁に袋を作って生息するクモの袋のおうちを突っついて破ってみたり、木に登って木の実を取って食べたり、どれだけ高い所からジャンプできるかを競って、挫いてみたりしていました。女の子である私を見て、両親としてはきっと呆れていたことでしょう。


また小学校低学年の時だと思いますが、近くの畑で「宝探しごっこ」をした時のことです。なんせ「宝探し」ですから、家から母親のダイヤの指輪を持ち出して、畑のどこかに隠したのですが結局見つからず、母親に大変怒られたことがありました。

あの時は、人生最高の反省をしたと思います。母親に申し訳ないことした、本当にかわいそうなことをしたなと思いました。しかし同時に「宝じゃなくても、宝探しごっこはできるんだ。」とも、思ったことが印象に残っています。


これも小学生の時のことだと思います。外で遊んで、門限に間に合わなかったのでしょう。母親は怒って家のドアに鍵がかけて、家に入れなくなってしまいました。 普通だったらそこで大泣きして「もう二度としません!」と反省をしなければならないのですが、「今晩どうやって、ここで一夜を過ごそうか?」と、静かに野宿の準備をしたので、母親にとってみれば、かわいくないですよね。その時も、呆れた母親の顔が思い出されます。

小学校3年生の時、母が仕事で忙しいので、料理好きな私が代わりにわかめのお味噌汁を初めて作ってみたことがあります。しかしワカメを切らないで、また塩抜きもしないで作ってしまったので食べる時には、さあ大変。その時も、母親から怒られたというよりは、呆れられたという感じでした。


もう一つ、私の中で「禁じられた遊び」ではないかと思っていた遊びがありました。それは私が好きな50㎝ほどのお人形さんを、目の前に座らせて「なぜこの子はお人形さんで、私は人間なんだろう?」と、真剣に考え「例えば私がお人形さんだったら、どうなるんだろう?」と思い、自分がお人形さんになるのを想像するのです。

そして目の前にいる私という人間とこの世界を観ていくのですが、それはとてもとても新鮮で、ある意味自由な感覚になるのです。
結局、空想しながら遊んでいたんですね。ある時は、このまま私はお人形さんになっているかもしれない、と思ったこともありました。ちょっとそれは、行き過ぎですが。

まぁ、その時に一番思ったことは「人間ってへんなの。なんでこんな世界を、創っちゃってるんだろう。」だったのです。夫に言わせると「あなたは小学校のころから、いろんな観点で遊んでいたんだね。」と言われましたが、まぁ変な子だったのは間違いありません。自分もこうして書いてみると、つくづくそう思いますね。

読んでくださって、ありがとうございます。

拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡