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かつてのラジオ番組「小沢昭一的こころ」について考える

 本屋に開高健(1930.12.30-1989.12.9没58歳)の「オーパ!」の文庫本が並んでいた。アマゾンでの釣りの記録と写真の本(アマゾンはほんまの南米のアマゾン!)。綺麗で驚くような魚の写真がある。かつて「オーパ!」(1978刊)を読んでびっくりしたのはもう昔昔、何十年も前だ。それが今復刻している。


 そんな昔、夕方になるとやって来る業者のトラックから、チャラララ~チャラララ♪と「小沢昭一的こころ」のテーマソング(山本直純「明日の心だ」)が流れてくる。平日の夕方。「○○について考える」と言って小沢昭一(1929.4.6-2012.12.10没83歳)が独特の口調でおしゃべりをする。1973年から亡くなる2012年までの長きにわたり放送された。


 小沢昭一と野坂昭如(1930.10.10-2015.12.9没85歳)、永六輔(1933.4.10-2016.7.7没83歳)の三人は、中年御三家として歌手活動をして、武道館ライブまでしている。小沢は役者、永は放送作家、野坂は小説家なのにだ。見た目もただのおっさん。おじさんというより、おっさん。


 私は、野坂のLPレコードもたしか通販限定で買ったなあ。野坂のレコードには、盲目の長谷川きよしも後に歌った「黒の舟唄」や「バージン・ブルース」も入っていた。
 永は「遠くへ行きたい」「上を向いて歩こう」などの作詞家としても有名。それぞれすごいおっさんだった。
 武道館ライブが1974年。みんな40代の頃だ。だから中年御三家。何歳になっても新しいことはできる。


 「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、テーマソングの後、「今週は○○について考える」と言い、その後、「口演・小沢昭一、お囃子・山本直純、筋書き・宮越太郎」と続いて、小沢の独演会となる。あの独特の言い回しがなぜかクセになる。

 お囃子(はやし)の山本直純(1932.12.16-2002.6.18没69歳)は、森永チョコレートのCMで「♪大きいことはいいことだ〜」とやっていた音楽家。指揮者として名を成した後にテレビCMにお笑い的風貌と大きな所作で出ている。作曲した作品も、「一年生になったら」、「マグマ大使」、「8時だョ!全員集合」、映画「男はつらいよ」のテーマ曲と変わったものも多い。
中年御三家と同じで、戦争を経験したこの年代の人は、新しいことに飛び込むバイタリティーがある。


 月~金曜日まで続くラジオは、毎日聞いていたら、聞けなかった日は、なぜか寂しくなる。

 話の中身はどうでもいいことばかり。ウィキペディアから「小沢昭一的こころ」の各週のタイトルを抜き出すと、「何かと便利な輪ゴムについて考える」「ちょっと一息タンマについて考える」「お父さんの国際化について考える」「罰当たりについて考える」「乙女の祈りについて考える」「胃袋について考える」等々。
 本当に脈絡もなくどうでもいい話ばかりなのだが、ついついフムフムと聞き入ってしまう。それが話芸なのだろう。


 小沢昭一は、早大在学中に、日本初となる落研、落語研究会を作る。同時に演劇活動も行い、卒業後「劇団俳優小劇場」を結成。役者として名をなした。

 40歳を超えてから、日本の伝統芸に興味を持ち、早稲田大学大学院に入学。全国から集めた名もない芸の音源レコード「日本の放浪芸」で、第13回日本レコード大賞企画賞を受賞。無名の伝統芸能やストリップなども取材・研究した。その頃、廃れていた周防猿まわしの芸をも復活させた。


 お笑い芸人だった、そのまんま東も、イメクラの未成年従業員から性的サービスを受けたとのことで謹慎し、早稲田大学に入学し、政治家を志し、2007年、東国原英夫として宮崎県知事に就任。こんな波瀾万丈の人生にも先駆者がいる。

 中年御三家は、それぞれ波瀾万丈の人生を歩み、今まで築いてきた自分の生活とは違うものを表現してきた。中年御三家として歌を歌うことも、その一つだ。


 中年御三家は、次々と新しいことを始めた。我々も、新しいことに挑戦する気持ちを忘れないでいたい。

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