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寿限無寿限無の門前の小僧の日本語

 かつて子ども向けテレビで寿限無じゅげむを覚えようと流したら、小さな子どもたちがこれを次々暗記したという、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない有名な話がある。

 寿限無は、長い長い一人の人の名前。

寿限無じゅげむ寿限無じゅげむ五劫ごこうり切きれ、海砂利かいじゃり水魚すいぎょの、水行末すいぎょうまつ雲来末うんらいまつ風来末ふうらいまつう寝るところに住むところやぶら柑子こうじ藪柑子ぶらこうじ、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命ちょうきゅうめい長助ちょうすけ

 落語の有名な話を、齋藤孝が監修するテレビ番組で流したら、幼児にヒットしたのだ。子どもたちの能力はすさまじい。すぐにたくさんの子どもが覚えた。子どもの集中力もものすごく、興味を持ったものはすぐに自分のものにする。


 そんな子どもの能力の可能性を信じている齋藤孝には、「寿限無 (声にだすことばえほん)」という本もある。


 子どもの能力を示すことわざに、「門前もんぜん小僧こぞう習わぬきょうを読む」がある。門前は、お寺の前。意味はわからなくとも、毎日聞いていれば自然と覚えてしまう。学問として理解していなくとも覚えることができる。

 お経には、ナンマイダの南無阿弥陀仏なむあみだぶつがある。

 仏説阿弥陀経ぶっせつあみだきょう
如是我聞にょぜがもん一時仏在いちじぶつざい舍衞国しゃえこく祇樹給孤獨園ぎじゅきっこどくおん与大比丘衆よだいびくしゅう。千二百五十人倶にんく皆是大阿羅漢かんぜだいあらかん衆所知識しゅしょちしき長老舍利弗ちょうろうしゃりほつ摩訶目犍連まかもっけんれん摩訶迦葉まかかしょう摩訶迦旃延まかかせんねん摩訶倶絺羅まかくちら離婆多りはた周利槃陀伽しゅりはんだか難陀なんだ阿難陀あなんだ羅睺羅らごら


 あるいは南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう法華経ほっけきょうがある。

 妙法蓮華経みょうほうれんげきょう序品じょほん第一
如是我聞にょぜがもん一時仏住いちじぶつじゅう王舎城おうしゃじょう耆闍崛山中ぎっしゃくっせんちゅう与大比丘衆万二千人倶よだいびくしゅうまんにせんにんく皆是阿羅漢かいぜあらかん諸漏已尽しょろういじん無復煩悩むぶうぼんのう逮得己利だいとっこうり尽諸有結じんしょうけつ心得自在しんとくじざい其名曰ごみょうわ阿若□陳如あにゃきょうじんにょ摩訶迦葉まかかしょう優楼頻螺迦葉うるびんらかしょう伽耶迦葉がやかしょう那提迦葉なだいかしょう舎利弗しゃりほつ


 門前の小僧だけではない。お葬式で声を合わせる人もすごい。お坊さんや神主さんの祝詞のりともすごい。大人だけど、すごい。こうやって原文を載せても、私は覚えられない。本文が正しいかどうかもわからず載せている。
 当時、子どもであって寿限無を覚えた人は、何かあれば寿限無が出てくるのだろう。



 同じように、百人一首も完全暗記していれば、何かを感じた時に口をついて出てくることもあるだろう。

 何百年も伝わった日本語の古文も、何かがあった時に口をついて出てくることもあるだろう。言葉を発した人はとっくに亡くなっていても、その言葉は残って口にされる。その時はわかっていなくても、覚えていれば自分のものになる。日本の伝統となる。
 こうして言葉は時間を越えて伝わっていく。
 
 

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