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江戸の鬼才、大田南畝が選んだ「万載狂歌集」①

 江戸時代の戯作者、大田南畝(おおたなんぽ、1749~1823)は、四方赤良(よものあから)という名前でたくさんの狂歌を作った。彼が35歳の時、朱楽菅江(あけらかんこう)と「万載狂歌集(まんざいきょうかしゅう)」を編集する(1783)。和歌最後の勅撰集である「千載和歌集(せんざいわかしゅう)」のパロディーとなっている。この狂歌集より、狂歌が江戸でブームとなる。
 「四季」と題した作品群を春から見てみる。こういうパロディー作品が江戸の人々の心をとらえたのだ。

さほ姫のすそ吹返し やらかな けしきをそそと見する春風  貞徳
 佐保姫は春の女神。詞書きことばがきに「春たちける日よめる」とある。柔らかな景色に、そそと春風が吹いている。という表の意味に、若い佐保姫の着物の裾が春風にひるがえり、柔らかな毛が見える。そそ、おそそは女陰のこと。そこまで見えてしまった。昔の女性は、着物の下はすっぽんぽんだった。神様をお下劣な目で見てしまう。神や仏より現実社会を重視した江戸の人々のおおらかな性の叫びだ。
 作者、松永貞徳は芭蕉よりも前に俳諧を始めている。狂歌も作っていた。南畝は、昔の人の作品も載せている。

23 うぐいすも声はるの日に長しゆすじゅず(数珠)に ほうほけきょうをくり返しなく  紀定丸
 作者は南畝の甥。南畝と同じように武士、御家人であった。
 ウグイスのホーホケキョと法華経、春の日の「はる」に、声を張る(はる)などがかけられている。掛詞かけことば(懸詞)といえばかっこいいが、ようはダジャレのオンパレードだ。漫才やコントの番組を見てワハハと笑っている現代人と同じ感覚だろう。

32 枝ひくき隣の梅は板塀いたべいのあなうつくしと のぞきこそすれ  へつつ東作
 平秩東作は、御家人ではないが武士。平賀源内の友人でもあった。
 枝の低い隣の梅の花を「あな美し」と見る。穴と、「ああっ」「まあ」という意味の「あな」のダジャレ。

36 目の前で手つからさくやこのはなに におふ うなぎの梅かかばやき  あけら管江
 朱楽菅江は南畝とともに「万載集」の編者。南畝より9歳年長。
 梅の花と鰻の蒲焼きのダジャレ合戦。花が咲くに、鰻を割く(さく)。この花にこの鼻。梅の香りに鰻の臭いを重ね合わせている。
 これには本歌(元歌)がある。

 難波津なにわづに咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花  古今集序

 この本歌は、寺子屋で習字をするときによく使われ、世間にも知られていたようだ。狂歌は、ダジャレだけのものもあるが、知識がなければわからないものも多い。

46 春の野にあそぶよめ小娘こむすめあとからはしり つくしたんほほ  石部金吉
 ヨメナに嫁のダジャレ。若い娘に走り追いつく(はしりつく)に、ツクシのダジャレ。ついでにタンポポ。
 春の野のヨメナはよく食べられた。ツクシも春の味覚。タンポポも、根っこのキンピラがおいしい。タンポポの葉や茎も食べられる。西洋ではタンポポを栽培し、サラダにしたりして食べるそうだ。

47 のどけしな富士の高根たかねの煙より すそ野一はいいっぱい もゆる若草  鬼窟採瘤きくつさいりゅう
 のどかな富士の裾野いっぱいの萌える若草。萌え~の、芽が出るという意味の萌える若草と、火山の噴火で燃える草原と両方の情景が浮かぶようにしている。

 今は噴火していないが、富士山は活火山であり、1707年に大噴火を起こしている。宝永大噴火と呼ばれ、大量の火山灰を降らし、川崎でも5㎝積もったそうだ(1707.12.16~)。噴火の前にはマグニチュード推定値8~9といわれる宝永地震(1707.10.28)もあった。「万載集」の刊行は1783年だが、災害の記憶がまだ残っているのだろう。この歌を選んだ南畝も、震災と噴火の記憶があるからこそ選んだはずだ。この歌の読者も、災害の記憶があるからこそ鑑賞できた。富士山の噴火など想像もしない現代人とは違う。江戸の人々は、災害の記憶と知識をもっていた。

 東北の震災10年は、まだ記憶が多く残っている。神戸では、震災26年。26歳以下の人は震災後の生まれ。震災を知らない人が増えている。江戸時代は、70年以上経っても人々の記憶に残り、知識として災害に注意をしていた。我々も、江戸の人々に学ばねばならない。



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