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永六輔と浅田飴の時代について考える

 永六輔、小沢昭一、野坂昭如は、中年御三家として、本業とは別に、歌を歌い、1974年には歌手として武道館ライブも行った。


 永六輔と小沢正一はラジオ番組を長くやっている。

 永は大阪ABCのアナウンサー、道上洋三の、これまた長くやっている朝のラジオ「おはようパーソナリティ」(1977〜現在)に、時々ゲストで出ていた。
 「おはパソ(おはようパーソナリティの略称)」は、私もよく聞くし、関西ではよく聞かれている。昔は、赤江珠緒や山本モナがアナウンサーデビューしたときに、おはパソでニュース原稿を読んでいた。アナウンサーの先輩、道上がコメントしたりしていた。
 東海地方ではおなじみの、「金太の大冒険」を歌っていた、つボイノリオの番組にも永六輔はよくゲストで出ていたらしい。
 ラジコで聞いていないので、つボイの最近の番組は知らない。昔はつボイと兵藤ゆきのラジオを聞いていた。「金太の大冒険」の、「お願い、金太、守って。金太、守って。きんたまもって♪」の歌詞とメロディーは頭にしっかり残っている。実は、レコードも買っている。

 「小沢昭一的こころ」は、1973年〜2012年まで放送。永は政治的な話もするが、小沢は、どうでもいい話を40年も続けていた。日常生活の話だから何十年も続く。筋書き・宮越太郎の力でもある。

 永六輔も、本では「一般人名語録」「無名人名語録」などがある。一般人のどうでもいい言葉を集めた本を出している。

「むかしは有名人になるのは、それだけの努力がなきゃ有名にはなれない。
そうでしょ? そうですよ。
いまはあんた、テレビに出りゃ、
バカでも有名人になってさ。
有名になると、なんだかいろいろ得するわけでしょ。
無名ってことが淋しくなるの、
わかるんだよね」  (永六輔「無名人名語録」)

 永の言葉ではない。まさに一般人の、どうでもいい一言を記録した本だ。もっと短い言葉もある。


 永六輔は、お寺の息子として生まれ、早稲田大学在学中に三木鶏郎にスカウトされ、放送作家、司会者となる。
 三木鶏郎(みきとりろう)は、当時のラジオで歌とコントを織り交ぜた「冗談音楽」という番組を作っていた。
 スタッフに、永六輔、野坂昭如がおり、作曲家は神津善行、いずみたく。俳優は、なべおさみ、左とん平など、後に名をなす数多くのメンバーをそろえていた。日本初のCMソングを手掛け、多くの歌が歌われた。アニメ「鉄人28号」の歌も作っている。


 永六輔は、作曲家、中村八大と組んで作詞、坂本九が歌う「上を向いて歩こう」がヒット。アメリカでは「スキヤキ・ソング」(Sukiyaki)としてビルボード1位になった。同じメンバーで「見上げてごらん夜の星を」などがあり、六八九トリオといわれた。

 1970年から始まった「遠くへ行きたい」は六八コンビが曲を作り(元歌はジェリー藤尾)、永六輔も出演し、旅をした。テレビ旅番組の先駆けとなった。

 テレビでは、長年続いた浅田飴のコマーシャルが印象に残っている。ただしゃべるだけのものだが、独特の口調が心に残る。何十年たった今でも覚えている。

 日本古来の尺貫法が禁じられることに反対し、尺貫法復権運動を始めた。尺貫法を使った職業があるのに、禁止するのはおかしい、というものだ。

 新党結成(中山千夏が代表の革新自由連合)にともない、1983年の参議院選挙に出馬するも落選。次々に新しいことに挑戦している。


 小沢昭一の語りや永六輔の本には、素人の面白さがあふれている。
 「無名人名語録」は永が集めた、まさに素人の言葉だし、「小沢昭一的こころ」は作家の作った脚本だが、出てくる人物は全て素人。ドラマの登場人物のような展開や特殊感はない。
 ちょうど今のテレビ東京「Youは何しに日本へ?」「家、ついて行ってイイですか?」と同じ、素人の面白さがある。SNS的な内容になっている。
 現在のnoteなどの盛況は、そういう面白さを再発見したものではないだろうか。


 noteのタイトルも、小沢昭一にならって、「○○について考える」とつけて、私もしばらく何かについて考えてみよう。

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