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超過勤務は全て「悪」なのか

 宝塚歌劇団の25歳の女性の自死の問題で、残業時間が277時間だという遺族の意見がニュースとなっていた。
 労働基準監督署が労働基準法に基づき、歌劇団に立ち入り調査をすることもニュースとなる。
 先輩や上司の理不尽な要求や、過密なスケジュールの連続は許されず、是正しなければならないが、残業が全て悪のような報道はどうなのだろう。

 サービス残業はいくらでもある。別に上司に言われたから残っているわけでもない。今はパートの人の106万円の壁、130万円の壁があるために、サービス残業が当たり前にある。残業しなければ、自分のしたい仕事ができないからだ。
 宝塚などの芸能人は、セリフを覚えるために家で練習すれば、それも労働だといえばいえる。
 今、私がnoteの記事を書いているが、これは趣味で書いているが、文筆を仕事としている人にとっては労働時間になる。徹夜して作品を仕上げれば、それも全て労働時間となる。
 遺族が277時間残業していたと怒るのはわかるが、それをそのまま報道するニュースには違和感を覚える。

 超過勤務というものは、従業員のために考えられたものであり、従業員の集中力やモチベーションが低下しないためのものだ。経営者側が生産性が落ちないために、労働時間を増やさないために考えられたものだ。経営者側と労働者の関係で考えられるもの。
 芸能人やクリエーターに労働時間を考えたってどうにもならない。それではいい作品はできない。新しく事業を始める場合も、労働時間を守っていたら、その事業はすぐにだめになってしまう。
 超過勤務が問題になり、したい仕事をするために勤務時間に含まれないサービス残業ばかりになることは大きな問題だ。

 同じように、元の考え、なぜそのようなことが問題になったかを考えず、ダメだという方向だけが鋭角化することはたくさんある。

 教育のことを考えれば、子どもの権利条約がある。
 子どもの権利権利が叫ばれるが、もともとは戦争により、たくさんの子どもが犠牲になったことから始まった考えだ。
 今なら、ウクライナやガザの子どもたちが対象になる。あの子たちの権利を守るために考えられたものだ。
 戦争前のイスラエルやウクライナはまだいい。もっとひどい地域がたくさんある。地球上には、子どもなのに働かされている。子どもなのに結婚させられ妊娠する。貧しくて食べるものがない、暴力をうけ虐待される。そういう子どもがたくさんいる。
 その子らを救うための権利条約なのに、権利権利を叫び、なんでもかんでも権利だという人のための権利条約ではない。

 SDGsも、上述のような世界の貧困をなくすために考えられた。
 地球上で貧困に苦しんでいる人は7億1千万人いるといわれる。そのうちの半数は子ども。食べるものがない、病気になっても医者にみてもらえない。学校にも行くことができない。不登校で行かないのではない。行きたくても物理的に行けない。そういう人々を救うために考えられたものだ。
 小学生がSDGsだといって、ものを大切にするのもいいけど、本来の目的も教えなければならないだろう。

 LGBTQ+も同じだ。男性の体をした人が、女湯に入るために考えられた権利ではない(Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシュアル、Tはトランスジェンダー、Qはクエスチョニング自分の性自認が定まっていない、+プラスはLGBTQ以外の多様なセクシュアリティ)。
 事実婚や同性婚をしていた人が、相手が死亡したときに、何も権利が残らないことから問題になった。コロナ禍では、入院している人に会えるのは親族だけの場合もあったが、事実婚の場合は会えないこともあった。LGBTQ+であることで人権が阻害されないために考えられたものだ。
 繰り返すが、女湯に入るために考えられたものではない。
 女湯に入った、体は男のニュースをしつこく報道するためのものではない。

 これ余談ですが、大阪市の路上全面禁煙方針のニュースがあった。
 禁煙運動は、受動喫煙を防ぐために始まったものだ。喫煙者をしめだすためのものではないだろう。
 外国では、屋内の喫煙はだめな国がほとんどだが、屋外は、ビーチや公園などの公共性のある場所以外は喫煙できる国が多い。なのに日本は屋外の喫煙場所がどんどんなくなる。
 一方に極端に偏ってしまう日本の動きには、マスコミの報道姿勢の影響は大きいだろう。

 上述の宝塚の問題も、いじめや過密スケジュールは問題にすべきだが、超過勤務が全て悪だという論調のニュースはいかがなものだろう。

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