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息子を他人と比べて一喜一憂することについて考えてみた

息子は可愛い。
父親観点で可愛い。一般的に見ても可愛い。
後半は世に言う親バカだが「一般的に見て」というのはかなり曲者だと感じる。
逆に、息子がXXについて一般的に劣る、となれば自分はその都度嘆くだろうか?(うん、嘆くと思う。)
でも、いちいち一喜一憂して振り回されてたらキリがない。
それに、息子に他人と比べて一喜一憂する人になって欲しくない。

我が子を他人と比べて一喜一憂してしまうことに、どう向き合うべきか?
自分にとって非常に大きなテーマだと感じた。

対応方法はいくつかある。
1.そもそも他人と比べない
2.比べた結果に対して一喜一憂しない
まず1について。
自分の場合は、第一子のため自分の中に判断基準が何もない。
身長、体重がどの程度なら問題ないのか?など他人と比較したり一般的に考えざるを得ない状況は頻発しそうだ。
却下。
2はどうか。
先生:「息子さんは身長、体重が他のお子さんに比べて小さいですね。」
自分:「そうですか。何か問題がありますか?」(あくまで淡々と)
先生:「いや、小さいですがあくまで正常の範囲内です」
自分:「ああそうですか。」(あくまで淡々と)
う〜ん難しい。心配で心配で、家に帰った後にググりまくる様子が目に浮かぶ。
2も却下。
他人と比べて一喜一憂することは、避けられそうにない。

袋小路かと思ったが、改めて問題に戻った時、一喜一憂した上でそのことに振り回されない、という方法があることに気づいた。
我が子を他人と比べて一喜一憂するけれど、その感情に振り回されない。
他人と比べた結果に対して、距離を取ることが出来ないか?

振り返れば、自分の人生で大切だったことは、好きなことに打ち込むことや、友人や恋人と過ごす時間だったりしたはずで、それらは何かを他人と比べて得られたものではない。
他人と比べて得られるものは人生においてそんなに重要ではなさそうだ。

以前、NHKのプロフェッショナルに出ていた義足職人の人が言っていた言葉が思い出される。
「義足を作る時、自分は数字を信用しないんですよ。数字にした瞬間に失われるものがある気がするんで。」

何らかの基準に落とし込んで他人と比べることはできる。
しかし、その基準に落とし込んで比較した時点で、本当に大切なものは失われている。

よって、比較した結果に対して一喜一憂はするけれども(しょうがない)、その一方で比較の結果は本当に重要なことではないことを常に意識しておくこと。
一旦この方法でやってみることにした。

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