見出し画像

京都から東京を思うの記〜京都北白川暮らしの不思議な縁と風街と


京都に来てもう1ヶ月以上が過ぎた。京都養生日記を書くと言いながら、1ヶ月以上放置してしまっていた。もう予定の滞在期間の半分が過ぎてしまっている。色々書きたいことはあったのだが、養生滞在なだけに、夜は寝なきゃと思っていたら、本当に日々は矢の如く過ぎていったのだ。そうこうしているうちに、「養生日記」なのかなあ?という疑問さえ湧いてきた。今住んでいる場所の特性もあるのだが、養生だか街歩きしてるのかわからない滞在になってきている。こんなんで本当にガンは良くなるのか?というモヤモヤもなくはないが、養生について書きたい時は書くし、他のこと書きたい時は書く。たまたま吉田兼好ゆかりの吉田神社がある吉田山を歩きながらそう思ったので、今日から徒然なるままに京都で考えたよしなしごとを書いていきたいと思う。

4月30日にやってきて、2ヶ月、長くても3ヶ月以内の期間限定の京都滞在。気功の先生を紹介してもらい、朝、気功教室に通いながら、がんに打ち勝つ体を復活させようとしている。腫瘍の様子は現状一進一退という感じだが(あくまで主観)、気力と体力は京都に来る直前の状態よりは充実している気がする。気功のおかげもあり、初めての京都での生活が新鮮でありながら、なんとなく懐かしさも感じるような長閑さの中にあるからかもしれない。

滞在しているのは左京区北白川。前回の投稿にも書いたが、偶然にも7年前、がんの再発が確定する直前に骨折をした銀閣寺のすぐ近くである。この場所に滞在することになったのは偶然だが、来てみると、ほかにも呼ばれているとしか思えないような不思議な縁を感じる場所だった。

近くにはあのホホホ座があり(ホホホ座と言っても知らない人もいらっしゃると思うので、ググってみてくださいませ)、そのホホホ座の1階では、私が2年前に作った冊子ファイヤーのリソグラフ印刷をやってくれた西小山のハンドソウプレスが京都店を開店し営業している。店主の小田さんもこのあたりに住んでいるそうだ。

さらに、偶然といえば、一緒にファイヤーラジオをやっている中島岳志さんは大学院生時代この辺のアパートに住んでいたことを今回知った。そのアパートは今もあって、なんと、いつも私が気功に通っている道の途中、路地の奥にある私のアパートに向かう曲がり角に位置していた。私はいつもこの中島さんが住んでいたというアパートを目印に帰宅している。また、中島さんの本の殆どを装丁している矢作多聞さんと上記のハンドソウプレスの小田さんは知り合いで、小田さんに連れて行ってもらった古本屋マヨルカの店主も仲良しのよう。さらにマヨルカは、私の東京の友人で古本マニアのひな菊さんもおすすめの場所。当然、マヨルカ主人とひな菊さんは面識があった。そして、そもそも私が通ってる気功教室は作家の森まゆみさんが「京都不案内」というコラムで書いていたもので、森さんとは谷根千に住んでいた頃、町の活動の中で知り合った。そして、その森さんの本の装丁も矢作多聞さんがやっていて、これは中島岳志さんからの紹介だそうだ。ぐるっと回って、なんだかみんなどっかでゆる〜く繋がっていて、初めて来た場所のような気がしない。

まあ、半世紀も生きてきて、知り合いも増えれば、その人々が私の知らないところで繋がっていたということが増えてくるのは当然である。若い頃に比べて、知人の知人が増えるのはあたり前田のクラッカーなのだ(このCMの言葉がわかるくらいの年代ですしね)。

とはいえ、自分がこの地を選んだわけでもないのに、紹介された気功教室も、ググったらすぐに見つかった安くて期間限定で借りられる賃貸物件もこの北白川周辺で、そこは京都の中でも私が訪ねたいスポットが集まっている場所でもあり、因縁の銀閣寺の近くでもあったという、なんだか不思議な縁を感じる今回の京都滞在なのである。

7月末には今東京で住んでいるアパートが取り壊しになり、引っ越さねばならないので、京都からネットで物件探しをやっている。もうこの辺(京都北白川界隈)に引っ越せばいいのになんて言われると、ちょっとその気になりそうである。たった1ヶ月しか滞在していないのに、早くも左京区北白川は私の懐に入り込んできている。近年、左京区は京都の中でも注目のスポットとなっている。しかし、そういうメディア的な注目ポイントとは違う何かがある。少なくとも自分はそれを感じている気がするが、それは何なのだろう。。

作詞家の松本隆のインスタグラムをフォローしていると、よく北白川周辺のお店の写真がアップされている。確か彼は今、京都に住んでいるはずだ。さすが、松本隆の通う店だけあって、どのお店の食べ物も美味しそうで(食べ物の投稿が多いのです)、いつも東京でそれを見ながら、一度ここに行ってみたいものだと思ったりしていた。今、その店がすぐそこにある。実際には予約制でそんなに簡単には行けない店もあったりするわけではあるが、、、。

しかし、彼のインスタを見ながら考えていたのは、そんな店々に行くことよりも、なぜ、あの生粋の東京っ子、微熱少年の松本隆が東京を離れ京都にいるのか。。ということだ。それがずっと気になっていた。

去年、京都新聞に掲載された松本隆インタビュー。当然の如く、生粋の東京人の松本がなぜ京都に居を構えたかを問うている。

「僕にとっての「風街」はもうない。」

前のオリンピックで変わった風景が、今回のオリンピックでさらに変わろうとしている。コロナ禍という事態も同時にやってきて、活気のない低いテンションで、よくわからないままに何かが変わろうとしている。この変化はオリンピックがきっかけではない。多分、それ以前から少しずつ水面下で進んできたものが、今、この非常事態を受けて、急激に顕在化しているだけだ。

松本がそう語るのも無理はないのだ。東京に住んでたかだか30数年の私でさえ、上京した頃と今を比べると、東京は風通しが悪くなったなあと思う。

このインタビューにはもう一つ印象的な言葉があった。

「はっぴいえんどは京都でウケたんだよ」

東京の風街を歌った日本語ロックは最初、東京では売れなかった。はっぴいえんどは最初、京都の学生にウケた。私はその時代をリアルタイムで知らない。なのに、そうだろうなって思えるのは何故なのだろう。

北白川界隈を歩いていると、「はっぴいえんどは京都でウケた」という言葉がなんとなく理解できる。京大のキャンパスが近くにあり、芸術系の大学もある。広い白川通りにはずっと街路樹が植えられ、今出川通の交差点で哲学の道に入って琵琶湖疏水沿いを歩けば、暑い日でも微風を感じる。2週間ほど前には、近所の人が蛍がいたと言っていた。この辺りはそんな都会の暮らしの中に小さな自然が感じられる「風街」的な場所である。

さらに、こんな言葉も思い出した。誰かが言ってたんだったか、どっかに書いてあったのだったか、「この辺ではネクタイを締めた人にあまり出会わない」。確かにそうだ。すれ違う人々も実際には会社員だったりするのだろうが、それはスーパーの店員だったり、ガソリンスタンドだったり、スーツを着ていない。そして、学生が多い。小学生も見かける。学童も保育園もある。ママもいる。近くのワールドコーヒーって喫茶店はいつもお年寄りでいっぱいだ。そこに素性の知れない大人が加わる。

「ネクタイ姿をあまり見かけない」というのは、はっぴいえんどが京都でウケたこととどこか繋がっていそうだ。最初「はっぴいえんどいいよね」と言い始めた学生たちは、この界隈でうねうねしていた人たちに違いない。多分、その辺のことは音楽評論家と呼ばれる人たちがどこかに書いていたりしそうだし、適当な思いつきで言ってる私が、今適当に書いても説得力なさそうなので、なぜはっぴいえんどが京都で・・については、京都で暮らしながら、少しずつ書いていければと思う。

話は変わるが、私は四国の田舎を出て東京に上京するとき、当然の如く、メディアの中のいろんな東京の断片に憧れていたが、そのうちの大きな一つが「はっぴいえんど的な東京」「風街」だった(私たち世代だと、その多くはイエローマジックオーケストラからの遡りであるが)。もちろん、私が上京する時点で、風街は消えかけていたのだけれど、それでもその名残を求めて麻布あたりを歩いてみたりした。都電が走っていた頃を知る職場の先輩から当時の話を聞いて憧れもした。でも時間は遡れない。ただ、今の東京にも、ふとした瞬間に、はっぴいえんどの曲から感じた何かが目の前を吹きすぎるのを感じることはあった。そんな風を求めて東京にやってきて、はや30数年が経つ。

そして、このところの五輪騒動やコロナでより顕在化した格差の拡大などを見るにつけ、以前より意識して、東京に住むとはどういうことか、自分にとっての東京とは何なのかを考えるようになった。そこには自分が病を得たことも関係しているのかも知れない。自分の話でお恥ずかしいが、私が今まで自分から好きになった男の人は東京生まれ東京育ちの人ばかりだったりもする。そして、そのどれもがうまくいかなかった。それが何を意味するのか。たまたまかもしれないが、人生折り返し地点を過ぎ、命の危機まで感じるなかで、東京とは自分にとって何だったのかを考えたくなった。

そして、偶然にも今、京都に来る機会を得て、微熱少年松本隆が住むこの京都で「風街」について考えている。

今日のタイトルに掲げた「京都から東京を思うの記」というのは、ある人との会話の中で、京都滞在期というより京都から見た東京の話を書いてみればと言われたことからつけた。しかし、考えてみれば、私がこの1ヶ月を京都で過ごしながら、京都を通して考えていたのは東京のことだったのかもしれない。ネットで東京での転居先を探し、グーグルアースで東京のいろんな街に舞い降りながらそんなことを思った。

ところで、ここ北白川に「深夜喫茶しんしんしん」という喫茶&バーがある。住み始めてすぐの頃、何かおもしろそうなところはないかとネット検索をしていてこの名前を見つけた。「しんしんしん」といえばはっぴいえんどの曲だ。細野晴臣が歌っていて、Youtubeをググると、京都出身のミュージシャン、キセルがカバーしたバージョンも見つかる。

北白川界隈にやってきて、最初に行ってみようと思った場所がここだった。どういう人がやっているお店なのか、「しんしんしん」とは果たしてあのはっぴいえんどの「しんしんしん」から名付けたものなのか、どういう音楽をかけているのか、どんな雰囲気の店なのか、、。

この店に行くことで、「はっぴいえんどは京都でウケたんだよ」という言葉の意味も40年の時を超えてわかるような気がした。

今夜はもう遅くなってしまったので、この辺にして、次回はこの「深夜喫茶しんしんしん」の話の続きから始めたいと思います。
おやすみなさい。

無料記事にしておりますが、よろしければ、応援よろしくお願いいたします!

ただいまお手上げ状態脱出画策中。経済、乳がん、住宅ローン、とりあえず、お金を稼いでゆったり暮らせる状態を作るのが目標。乳がんは特に症状はなく、金欠だし、標準治療してないのですが元気です。