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過程の努力も認めていいんだと、教えてくれたH先輩へ|手紙部

拝啓

最後に偶然お会いしてから、もう15年も経ちましたね。
あの頃、H先輩は社会人になりたてでした。幸せに過ごしていらっしゃればと思っています。


中学時代、わたしは色々と理由をつけて、部活には行っていませんでした。
本当はキラキラした青春とか部活とかに憧れていたのに、中学時代はそういうことの一切がうまくやれませんでした。

小学校6年生で引っ越して、クラスに馴染めなくて、やや陰湿ないじめもありました。
わたしは勝気な方なのでいじめなどには負けず、相手が男であれ女であれ、やられたら片っ端からやり返していました。またやり返されないように仕返しはガッツリと、そして次からやられないように、隙を作らないように。
でも、自分のために怒れるからといって、傷ついていない訳ではない。そんな小6時代でした。
自分の人生で間違いなく最悪な1年間でしたが、あの1年があったから、自分の人生をどうしていきたいかを懸命に考え、そしてその舵取りは自分がしなければと強く思うようになったのだと思います。

中学に入ってからも、みんな敵だと思って、傷つけられないように鎧を着込んで、隙がないように隙がないように過ごしていました。そして自分の牙を研ぐように勉強し、なるべく偏差値の高い高校に入ろうと考えていました。できれば1番頭のいいところ。他人を馬鹿にしたり蹴落としたりする必要のない、賢い人たちが集まるところ。

望んだ高校に入って、ようやく武装解除していけると思いました。
でも、直近4年間でコミュニケーションにつまづき、ごく限られた人としか友人関係を築けなかったわたしは、クラスメイトや部活の先輩、同期たちとどんな風に接したらいいか、よく分からなくなっていました。
正直、高校デビューは微妙だったなと思います。

でも周囲の人に恵まれて、じきに馴染めたと思います。単に周りがスルーしながら受け入れていってくれたとも言えるかもしれません。どちらにせよ、楽しい高校生活でした。


H先輩とはそんな高1の時に出会ったのですが、なぜかあまり印象がありません。
強いて言えば「怖そうな先輩」というイメージでした。それを「部活ノート」ごしにお伝えした時には『そのイメージって結構傷つくんだよね。俺なにかしたっけ?』とコメントされていましたね。
たぶん、何もしていません。イメージですから。


わたしが高1の頃、H先輩はすでに大学3年生でしたね。ずいぶん大人に見えました。
老けていたという訳ではないです。

わたしたちが所属した剣道部は、公立高の宿命ともいうべきか、顧問の先生が必ずしも剣道経験者ではありませんでした。
だから普段は自分たちで練習メニューを組んで稽古をしていたので、夏休みや冬休みにOB・OGの先輩方が練習に来てくれると、2年の先輩たちはありがたがったものです。
実際、自分が高2になったとき、ありがたいと思いました。
自分を含めて、高校から剣道を始める部員が半数以上占めているのに、たったの1年で初心者を指導する立場になるというのは、思っていた以上にプレッシャーでした。


そんな高2の夏休み、H先輩は大学4年でしたが、夏休みの練習にもほぼ毎日参加し、合宿にも来てくださいましたね。
伝統的に、合宿で全体指揮をとるのは大学2年生のOB・OGでした。
指揮をとるOBたちよりさらに先輩な訳ですから、先生レベルの年配のOBでもない限り、大概の先輩はH先輩に頭が上がりません。
たぶん、高1の頃はそんな様子をみて「なんか怖そうな先輩」と思ったのだと思います。

自分が高2になって合宿の運営にも多少携わるようになってから、H先輩との接点が増えて「怖い」とは思わなくなりました。
むしろ先輩の後をついてまわりたいほど懐いていましたし、合宿中もよく稽古をつけていただきましたね。
稽古中は厳しく打ち掛かってきても、終了の合図でニコッとして「ナイスファイトー」と声かけしてくれるところがたまりませんでした。
思い返してみると、自分は相当わかりやすくH先輩に「懐いて」いて、ちょっと恥ずかしい気がします。

H先輩は普段もニコニコして、OB・OG、現役問わず、みんなに慕われていましたね。
みんなのお兄ちゃんという感じで、誰もが頼りにしていたと思います。
現役生が合宿の間、各自でつける「部活ノート」は、その日の夜のうちにOB・OGでコメントを書き込んで翌朝返却するのですが、H先輩はおそらく全員のノートに何かしら書き込んでいたのではないでしょうか。
そんな普段の様子と、稽古中の風格ある姿に、わたしはすっかり憧れていました。


合宿の最後、現役生同士で試合をしますね。秋からの団体戦のオーダーを決める上で参考にする、大事な部内試合です。
わたしの後輩には中学から剣道部だった子もいましたが、自分が先輩である以上、やはり負けたくないと思って試合に臨みました。自分の合宿での成果に期待もしました。

でも蓋を開けてみると、泥仕合のような延長戦の末に辛勝する有様でした。
自分でも悔しく思っているのに、合宿の指揮をとっていた先輩からも「ここはスッと大技で勝ちたいところだよね〜」と言われ、悔しくて不甲斐なくて涙を堪えられませんでした。

どんなに頑張って稽古をしてきたつもりでいたって、こんな試合をしていたら全然ダメだ。自分は全然成長できなかった。悔しい。不甲斐ない。恥ずかしい。
そんなことを言っていたわたしに、H先輩は一言、
「現状に満足しながら、反省しろ」
と、言いましたね。
突き放すでもなく、諭すでもなく、ただのその一言で、不思議と視界がひらけて心が軽くなりました。


あれはきっと、
望んだ結果を得られなくたって、努力したことそれ自体まで否定しなくていいのだと、そう言ってくれたのですよね。
100を目指していたのに60までしか到達できなかったとしても、その60までの努力は「頑張った」と認めていいのだと、その上であと40どうするかを考えればいいのだと。

『結果は結果として、頑張ったじゃないか』

そう言ってもらえたようで、今思い出しても何やら涙ぐんでしまいます。


H先輩と最後にお会いしたのは、およそ15年前、JR日野駅でしたね。
わたしは日野駅に入線する電車に乗っていて、先輩はホームに立っていました。
わたしは電車の中から、先輩は駅のホームから、おそらく同時くらいにお互いを見つけましたね。しかも電車が止まってみれば、ちょうどわたしが立っていたところと先輩が待っていた場所が一致したのだから、運命みたいだと思いました。
あまりによくできていたので、なんとなく「先輩と会うのはきっとこれが最後だ」なんて思って、それが妙にしっくりきたものです。

もっとも、最後にしたかった訳では全然ありません。自分たちの代が合宿の指揮をとる時に、H先輩にも合宿にきてほしいと思っていましたし、実際にそう言いもしましたね。
お会いしたあの時が、ちょうどその年でした。

わたしは大学2年生で、修士課程を終えた先輩は社会人になったばかりでした。
研修で日野にきていて、その帰りであること。本社は八丁堀にあること。さすがにもう合宿には行かないということ。お話しできたのはそのくらいでした。
あの時、わたしはバイト先に向かう途中で、もうあと2駅で降りなければならないという理性的な思考と、このまま先輩が降りるまで乗っていってしまえという乙女思考の間でずいぶん葛藤しました。

あの時2駅で降りなければ、連絡先の交換なんかして、もうちょっとくらい違う未来も期待できたでしょうか。

なんて書くと、さすがに思い出に酔いすぎでしょうか。あとで思い返して、恥ずかしさに悶絶してしまいそうです。
でも、中学・高校・大学・そして社会人になってからも、キラキラしいことなど何もなかったわたしの人生の中で、今のところ唯一と言っていい、美しい瞬間でした。
あまりに作り物めいた出来事だったので、これまでネタにもせず黙っていましたが、この機会に書き留めさせてください。


わたしは高2のあの夏合宿から現在に至るまでずっと、満足しながら、反省しながら、やれてきています。
自分のスキルとこれからの展望を踏まえて何度か転職しましたし、今の会社ではプロジェクトが終わるごとにその案件のコスト・スケジュール・品質と各人のパフォーマンスを振り返りますが、そこでも自身の取り組みを前向きに評価しながら、建設的に反省し次に活かせていると思います。
もしかしたら、単に大人になるにつれて図太くなってきただけかもしれませんが、それさえも悪くないと思えるのです。

2年前には結婚もしました。
「今まで普通に生きてて何もなかったんだから、これからも普通に生きてたらもう絶対何もない」と思ってアプリで婚活し、1年後には両家顔合わせに至ることができました。
自分を客観評価するという点においては、これもH先輩のおかげと言えるかもしれませんね。


H先輩はあれからいかがお過ごしでしょうか。幸せでいらっしゃればと、常々思っています。
今時ならFacebookで探せば見つかるかもしれませんね。でもここまできたので、もうそういうことはしたくないなと思っています。

この手紙は、ボトルレターのようにインターネットの中を漂わせておきます。
H先輩の目に触れてもいいし、触れなくてもいいと思っています。
だから先輩も、もしこの手紙を見つけて「自分かな?」と思っても、連絡をくれてもくれなくてもどちらでも良いです。
綺麗なだけの思い出としてとっておくのも文学的だと思っていますし、今だから言えることだと、全部あけすけに話してしまうのも面白そうだと思っています。


最後に、この手紙はゆるふわ帝国@手紙部( @nn_name_n2 )さんからお誘いをいただき、したためることにしたものです。
思い出に酔った節は否めませんが、それでも高校生の頃から常に心の片隅にあった感謝の想いに向き合って書き留めることができ、感謝しています。

近年よく聞く「自己肯定感」というものをわたしが持っていられるのは、間違いなくH先輩のおかげです。
この社会で生きていくために必要な力を教えてくださり、ほんとうにありがとうございました。
言い尽くせないほどの感謝を込めて。


敬具

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