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転売事案に感じる違和感

ここ数日、某社の社員が転売屋についての私見をツイートして炎上し、解雇のうえ、その監督責任を問われた上司が軒並み降格になるというニュースが流れていました。

まず、私のスタンスを書かせていただくと、転売については一部容認というスタンスでした。そう、過去形です。数年前までの話です。

転売はある程度の知識と労力が必要なもので、その割に儲けは少ない……実際、昔はそんなものだったからです。ただ、転売屋の中には1人でかなりの数を買い占めて相場を吊り上げる者もおりましたので「流石に買占めはダメでしょ」というスタンスでした。

しかし、ここ数年で、転売に対する日本人の意識が変容しており、転売はとてもカジュアルな「副業」のような扱われ方をするようになりました。結果、どうなったかと言えば、コロナ禍でトイレットペーパーからマスク、ホットケーキミックスに至るまで転売されるようになってしまいました。

もはや、転売の対象商品は嗜好品にとどまらず、食材や日用品に至るまで餌食となり、数十万人という単位の副業転売屋が蟻のように商品に群がるようになってしまったのです。これにより、限られた転売屋の独占行為ではなく、「複数からなる転売屋という大きな塊」によって買占めが起きるようになってしまいました。

私は当初から「買占めはダメ」というスタンスだったので、メルカリでカジュアルに転売がされるようになって、現在は「もう転売そのものを規制した方が良いのでは?」と考えるようになっています。

長くなりましたが、つまり、現時点で転売には否定的なわけです。

しかしながら、そんな転売否定派の私から見ても、この数日の「転売屋憎し」「肯定したアカウント憎し」という流れにちょっとした違和感を感じざる得ませんでした。

僕たち(消費者)が作った「転売パラダイス」

転売屋の是非とは別に、この問題を語るうえでまず考えなければいけないのは、商品の流通が現状どうなっているか?ということです。転売屋に商品が渡る前のお話ですね。

至極当たり前の話ではありますが、商品はメーカーが生産して、卸業者(問屋)を通して小売店に届きます。

すんごいザックリ書くとこんな感じです。

流通

1メーカーは問屋を複数使っていますし、量販店もひとつではありませんので本当にザックリだと思ってください。「この図要る?」って程度です。

こうやってメーカーから量販店や、その他小売店に流れた商品を消費者は購入します。なんでこんな当たり前の話をしたかと言えば、いま、この流通段階で早くもつまずいているからこそ、転売屋の住みやすい世界になってしまっていると言えるからです。

一番の問題は「小売店の減少」です。

転売は、手に入りにくい商品ほど、取り扱った際に利幅が大きく優良な商品となります。小売店が減少すると言うことは、それだけ販路が少なくなると言う事なので、当然、商品は手に入りにくくなります。

「小売店が減っても量販店にその分入荷するのでは?」と思う方も居るかもしれません。それは、その通りです。しかし、販売店舗が少なくなるということは、転売屋も多くの店舗を巡回して集めて売るようなことをする必要がなく、数店舗に絞って1店舗で出来る限り多く商品を買えばよいため、効率が上がります。インターネット上の量販店であれば尚更です、こたつでぬくぬくしながら商品確保が出来てしまいます。冒頭で書いたように、本来であれば手間と時間を考えれば、簡単に儲かるようなものではなかった転売行為が、このように小売店の減少と、インターネットの発達により商品を低コストで確保することが容易になったため、カジュアル転売屋が増えたと考えられます。

ではなぜ小売店が減ったのか?

簡単なことです。インターネット通販で安売り店が増えたからです。

私も含む所謂「消費者」は、インターネットを介して容易に価格の低い店舗を探せるようになりました。当然、出来るだけ安い店舗で商品を買おうとします。至極当たり前のことですが、この「当たり前」が体力の無い小売店を潰しました。

「大型ショッピングモールが出来て、近くの商店街がシャッター街になった」みたいなよくある話が、インターネット通販の普及と共に、地域を問わず全国に波及してしまったのです。

ここ10年で、あなたの街にあった「おもちゃ屋」は、まだ元気に営業しているでしょうか?小さな本屋は?街の電気屋は?私の住む町からは軒並み消えてしまいました。

私の子供の頃はファミコン全盛期で、ドラクエの新作を買うために量販店に徹夜の行列ができるような時代でしたが、そんな行列をよそに、私は最寄りのおもちゃ屋さんや、電気屋さんで予約してドラクエの新作を毎回買うことが出来ていました。新宿や渋谷まで出なくても、東京都下にある近所の小さな店を何件か回れば全国的に品薄であるゲームも発売日に手にすることが出来たのです。これが販売チャネル(小売店)が多いことの消費者メリットです。

話をまとめると、結局、小売店の減少は、転売屋の「効率化」を助け、消費者の「入手性の低下」にも繋がります。そして、この状況を作り出したのは、常時強烈な値引きによる薄利多売を全国規模で展開する通販大手や量販店であり、その恩恵を享受する私たち消費者に他なりません。

それとこれとは別問題ではあるものの

とはいえ、これは「転売屋は悪」という内容とは全く以て別問題です。いくら消費者が土壌づくりの一端を担ったとしても、そこで迷惑行為を行う者を「是」とすることはできません。

ただ、なんとなく、件のツイートの意図するところは、こういった安売りと消費者によって作られた土壌については、「ある意味、消費者にとって自己責任案件である」ということが言いたかったのかな?ということと、「そこに発生した転売屋は、発生するべくして発生していて、対抗するか(転売屋より先に買うか)、従うか(マージンを払って転売屋から買うか)しかない」と言いたかったのではないだろうか?決して転売屋を安易に肯定しているのではなかったのではないか?と思う次第です。

もちろん、だとしても、立場的に言わない方がよかったかなとも思います。でも、もし……もしも、そういう意図があったのだとしたら、私は「あながち間違ってはいない」と思いますし、なにより、ツイ主にどういう意図があったにせよ、消費者の立場から、転売屋に対する苛立ちを、転売屋ではないツイ主に豪速球で投げつける行為は、なんというか、ちょっとした違和感を感じました。直接的ではないとはいえ、私たち消費者は、この状況を作った当事者でもあるのです。

メーカーのリスク

このような話をすると「転売品が売れなくなるように、メーカーはどんどん再販すればよい」と言われることもありますが、これもまた難しいです。

日用品はちょっと私も実態が把握できませんが、嗜好品について言えば、やはり小売店(販路)の減少が再販のネックになります。

たとえば、1000店舗で1000個の商品を売るとすれば、1店舗当たり1個注文が来ればメーカー在庫が無くなります。もちろん、1000店舗の中には10個欲しいという店舗もあるかもしれませんし、いらないという店舗もあるでしょう。希望を聞きながら広く薄く撒いていくわけです。(数字は分かり易いようにザックリと極端な数字にしています)

店舗数が1/10になったらどうなるでしょうか?

圧倒的に数を売る薄利多売の大量発注店(安売り店)が2店舗、中堅店から小規模店が合計98店舗だとします。大量発注店2店舗で600個、残り98店舗で400個商品を卸して1000個捌いたとして、ここには実は結構なリスクがあるのです。(数字は分かり易いようにザックリと極端な数字にしています)

1000店舗あったときは、その中の数店舗からの注文が、過去の実績より少なくなったとしても、メーカーにとって大きなロスにはなりません。また、各店舗で1個売れさえすればリピートに繋がるため、再販もしやすいでしょう。そもそも売れても売れなくても、販売店であれば、各店舗1個くらいは在庫を仕入れます。販売店舗(販路)が多いというのは、単純に商品の生産数に直結します。

一方で、安売り店に注文が一極集中する場合、その店から注文が大量に入らなければ商品は死にます。大抵は、注文を取る際には既に商品の生産数は決まっているため、販路が少ないほどギャンブルです。再販についても、再販品を大量発注店がどう扱うかの見極めが必要になるため、比較的決断が難しいと言えるでしょう。各メーカーが実際にどのように考えているかは分かりませんが(気にしてないってことはないとは思いますが)、1店舗への依存度が高いほど、梯子を外されることに大きなリスクが存在します。

水と平和はタダではなかった

昔はよく「日本人は水と平和はタダだと思っている」なんて揶揄されたりもしたのですが、どうでしょう?昨今では「水がタダ」なんて思っている人の方が少なくなってきているのではないでしょうか?

そもそも水道水もタダではないんですが、昔は公園や町中に給水のための蛇口があって、結構色々なところで水がタダで飲めました。昨今ではそういう場所も減ってきていますし、何より、あったとしてもあまり利用されなくなっているような気がします。一方で、コンビニには商品棚に水が並び、スーパーでは専用ボトルを買うことで、水を汲んで持って帰れるようになりました。どちらも有料です。確実に日本人の水へのコスト意識は、高くなったと言えるのではないでしょうか?

これと同じように、私たち消費者は「商品を買う行為そのものもタダではない」「商品を買う環境のためにコストを払う」というように認識を改めなくてはならないのかもしれません。

問題として、商品自体のコストを支払っているため、私たちは「既にコストを払っている」と考えてしまいがちです。そうではなく、私たちが製品を手にする機会すらもタダではなく、そこにコストの概念を持つ必要があるのではないか?ということです。ややこしくてバカバカしいと感じるかもしれませんが、よく考えてみれば実はこれは当たり前のことだったりします。

たとえば、自宅から徒歩1分の場所にコンビニがあったとします。

あなたはこのコンビニでお気に入りのアイスを買って食べたいと考えています。とはいえ、コンビニに立ち寄るのは月に1回です。しばらくして、コンビニは経営難で潰れてしまいました。あなたのお気に入りのアイスを別の店で買おうとしましたが、取り扱っている店舗がなかなかなく、15分歩いたところにあるコンビニでやっと見つけました。ところが、販売店が減ってこれからそのアイスが売れると踏んだ転売屋数名が、アイスを買い占めて転売を始めました。

もちろん「転売屋死すべし」です。
しかし、発端は販売店が減少してしまったことなので、これを防いで健全な状態を維持できれば、こんな状況にはならなかったかもしれません。そういった環境を保つためのコスト……なくなって不便ならその店をもっと利用するなり、そういうコストを払ったのか?払っていなければ、それは不便な結果を招いた当事者ではないのか?そんな感じです。

何度も言うように「バカバカしい」と思うかもしれません。「なんで客がそんなことまで考えなきゃいけないんだ」とも思うかもしれません。

そういう意味では、私自身、現時点で消費者側がそんなコストまで考える必要はないという考えが強いです。これは消費者目線からではなく、経営者目線として、消費者にそこまで考えさせるのは申し訳ないとの想い……いや、ヤセ我慢からでしょうか。武士は食わねど高楊枝的なヤツです(笑)

ただ一方で、いまの状況を脱却したいのであれば考えなければいけないテーマだとも思っていて、この考えが元となって『消費者として転売問題を語る際に、当事者意識なく「転売屋憎し」という怒りをSNSで拡散している様』に、前述のとおりちょっとした違和感を感じている次第です。

くだらない話を長く書いてしまいました。
本当に失礼しました。

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