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人に認められたいと願う自分を認めてあげることにした

理系ライター仕事の取材で、相手にどういうワークライフバランスが理想かと質問したら、自分の優先事項をしっかり自覚していれば自然に良いバランスになる(意訳)と答えてくれた、その人の言葉をずっと考えてる。私の優先事項は何だろう。小説、と言い切れない自分がいる。その人は家族との時間だった。

もっと仕事を減らしてのんびりしたいとか、小説に取り組む時間を増やしたいとか、そんなふうにわたしはよく嘆いている。仕事の時間を9時から19時までに決めて、そのほかは小説やインプットの時間に使おうと試みたこともある(が、たいてい仕事の締切に追われてうやむやになる)。1日の時間の区切りをああでもないこうでもないと動かしながらワークライフバランスというものを取ろうとしていた。優先事項を決める、という考え方を、なぜかしたことがなかった。

自分のやりたいこと、大事にしたいこと、やりたくないこと、いろいろ裏紙に書き出してみて、人生でこれだけは成し遂げたいことは何かと考えたら、「小説家として認められたい」という思いが出てきて、ぎゃーってなった。

いや、あなた、このnoteでもさんざんさ、他人に認められるかどうかじゃなくて自分が成長するかどうかが大事だとかさ、言ってたじゃないの! あれ噓なんかい!…と突っ込む自分がいる一方で、床を転げまわって泣きながら「やだー!!みとめられたーい!!!」って主張している自分もいる。

「えっ? 小説書くんだ!」って言われる人生はもういやじゃー!!!

「デビュー目指してがんばってね」ってデビューしとるんじゃーい!!

「不勉強でお名前を存じ上げなくてすみません」ってそんな勉強しなくていいから!!わたしがマイナーだから!!勉強して知ってたら怖いから!!

「本屋さんで買えますか?」って、新刊がないのとマイナーなので棚に置いてありませんー!!買えませーん!!!探さないでください。

このまま終わるのはいーやーじゃー!!!!

しかしまあ、じゃあ、さっさと小説に集中してがんばれよと思うのだけど、わたしの人生、なんでこんなことになっているのかというと、認められたいという思いより、認められない怖さが勝ってるからなのだと思う。てっとりばやく認められる道があったら、つい寄り道してしまうのだと思う。どんなことも初心者のうちは、認められる機会が多い。自分自身もできることがどんどん増えていって達成感もある。

2009年に小説家デビューしてそれから10年あまり、あまりの認められなさに、ずっとしんどかった。デビュー前は面白い小説を書くだけでめずらしかったけれど、デビュー後は面白い小説を書いて当たり前の世界で、デビューしたレーベルは解散し、映画化前提で連載していた小説は自分とは関係ない事情で完成後に映画化も出版もなしになり、町おこしの企画に関わったりもしたけど、何度も打ち合わせで途中経過を見せていたのに書き終わったあとにこんなものはいらないと突き返されたり、自作の映画化が進んでいたけれど頓挫したり、非常勤講師として雇われたけれどアシスタントとして便利なだけで小説家としては認められていないんだなあと思うことが多かったり。電子書籍のレーベルからいくつか作品を出せたけどランキングに疲弊したり。

見て見ぬふりをしていたけれど、自分がないがしろにされ続けているような気がして、ずっとつらかった。本当はそんなことなかったかもしれないのに、そんなふうに思ってしまうくらい病んでいたのだと思う。応援してくれる人に笑いながら、実体は大したことがない自分をさげすんでいた。

そんなときに理系ライター集団チーム・パスカルに出会って、理系ライターの仕事を始めた。書くことがお金になって人の役に立って喜ばれることが、ただただ嬉しかった。ライターとして第一線で活躍している人たちの中に入ってもやっていけることや、よく知っている雑誌に記事が載って名前が載ることや、大学院でやってきたことや小説家として積み上げてきたことが全部役に立つことが、嬉しかった。

収入も増えた。人並みの収入。それは、これまで書いても書いてもお金にならなかったわたしを、とても癒した。わたしの文章やわたし自身に、ちゃんと価値があると言ってもらえて、餓死寸前だったわたしの「認められたい」という願いが、少しずつ体力を取り戻し、回復していった。

そうして楽しくあっという間に過ぎたのだけど、「小説家として認められたい」という気持ちは消えなかった。むしろますます渇望して飢えていく。

そういえば大学院時代も「認められたい」が餓死寸前だった。同じ年の人たちは働いているのに、奨学金という名の借金を膨らませて、来る日も来る日も実験をして成果も出ず、うつうつと過ごし、将来も見えない日々。餓死寸前のそれは、講談社Birthを受賞したことでかろうじて救われたのだと思う。

院で研究をやっていたのは大体7年だ(医学部の院なので博士が4年あるのと、修了後も実験をやっていた)。2009年11月に小説家デビューして、2017年2月にパスカルに出会った。小説家だけ(あと派遣バイトや非常勤講師や塾講師)をやっていたのが7年3か月で、ライターになって丸7年。偶然かもしれないけど、7年ずつで「次のステップ」に行くのだとしたら、今年はそういう年なのかもしれない。満を持して次のステップというよりは、「認められたい」が餓死寸前でどうにもこうにもできなくてもがくタイミングなのだと思う。

運動もできないし部活も万年補欠だし、勉強が人よりできるかもしれないということがアイデンティティになって、進学校の高校を目指し落ちて、京大を目指し落ちて、大学院入試で京大に入れた。ここで認められたい欲が補給された。たぶん7年分。
小説家になれた。認められたい欲が補給された。これも7年分。
ライターになった。認められたい欲が補給された。だけど、もうすぐ7年。

認められたいに振り回されるのは、みっともない人生かもしれないけれど、それがあるからがんばれて、自分の力が引き出されることもあるわけで、悪くないかなあと思う。いや、そう思えと自分に言い聞かせる。

ライターとしてたくさんの人と仕事をした。社会人としてまともに働く経験を積んだし年齢も重ねたから、小説家としても、前の7年のように、搾取されたり、自分をないがしろにさせたりせずに、自分で自分を守れると思う。

認められたいーとごろごろ転がって泣いているだけでなく、何をすればいいのかも分かっていると思う。書くんだよ、小説を。人生の優先事項をしっかり意識して、そうしたらやれると思う。


■今読んでる本
『夏の闇』開高健。恋人のような恋人でないような、中年の男女が、異国でだらだらと過ごす物語。主人公の鬱屈、明るさ、戦争の気配、女の悲しさ、強さ。人生のくぼみにはまってしまったような、そんな濃厚な時間が流れる。文章も女のセリフも、表現力がものすごくて、こういう小説ばかり読んでいたら文章がもっとうまくならないかしらと思ったりした。もうすぐ読み終わる。

※マガジンの名前を変えてみました。執筆してないのに執筆日記というマガジンを書くのは後ろめたくて…。執筆してなくても日記(笑)

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