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成長という報酬を数えて渇望を埋める

約1年前の2023年2月9日に、わたしは「ブックライターという仕事に向き合ってみようかなと思った」という日記を書いている。ブックライターというのは著者の話を聞いたり資料をもとに本を1冊書く、表に名前が出ない裏方仕事なのだけども、自分の本じゃなくても、本を1冊書くという技術の修行にはなるから、ちょっとがんばってやってみようと、1年前のわたしが言っている。

確かにその通りなんだけど、まあ5冊は多いよ。いろんな事情が重なって仕方がなかったとはいえ…。

でも昨日、その5冊のうち1冊がようやくいったん、手を離れた。ようやくですよ。残り4冊ですよ。まだまだあるけど、前には進んでいる。これが全部終わったら、絶対に1冊ずつしか受けない。取材だけ先に、とかもしない。〇月には終わるだろうと皮算用もしない。手がけている本がすべて終わった状態になってから、受けるかどうかを検討する。未来のわたしよ。覚えとけよ。いや、絶対忘れるだろうけど。忘れてもいいから、この日記を読み返せよ。

ところで、前述のブックライターに向き合ってみようかな日記に登場する、手が離れた原稿というのは2023年の5月に発売された『思い出せない脳』(講談社現代新書)のことだ。この仕事でわたしは、人生初の、重版なるものを経験した(※漫画原作は除く)。つまり、わたしの著述家人生で一番、自分の書いた本が、たくさんの人に読まれたことになる。

小説家として本を出しているときは読まれないことに苦しんでいた。出してすぐはいろいろな感想をもらってとても嬉しくて幸せなのだけど、そういう幸せはすぐにしゅわしゅわ縮んでいって、もっともっとと思ってしまう。餓鬼のようにいつも飢えていた。十分読んでもらって、十分感想ももらっているのに、「読まれていない」という気持ちが消えることがない。この感覚は本がたくさん売れていないせいだと思っていた。たくさん売れたら満たされるのかと思っていた。

なのに重版がかさなった(現在5刷!)『思い出せない脳』ですら「読まれていない」という気持ちが消えない。どう考えてもおかしい。苦労に見合うだけの報酬を得た。一緒に作った先生と編集者さんにもとても評価してもらった。読んでくれた人からは嬉しい感想をもらった。これ以上、何があれば満足するのだろうか。

2023年6月に同じように満たされないことについて書いてるけど、んで、最後の結論が小説の公募賞に出そうってなってるけど、ああ、それもは違うと思うぞ、過去のわたし。だが、途中はいい感じだ。人の評価ではなく、自分の成長を、がんばった報酬として設定する。そこ!それだよ!

成長したら前よりもできることが増える。その力で、お金を手に入れることも、誰かを楽しませたり喜ばせたりすることも、誰かの役にたつことも、社会に貢献することも、自己顕示欲を満たすことも、小説というものの道を究めることも、たぶん、しやすくなる。「成長」は何に使うかは自分次第の報酬だ。未来が広がる。

それは、誰にも奪われない、誰にも搾取されない、誰にも左右されない、報酬でもある。自分さえ芯がぶれなければ、もっともっとと人に欲しがらなくても済むはずだ。まあ、やりがい搾取みたいなことしてくる人もいるけれど。あれは搾取されているのは労力だからね。そういうのには気を付けて。正当な報酬をもらうのは当然のこととして、それでも満足できない渇望は、成長という報酬を数えて埋めようかな、と思った。

さて、原稿しよ。


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