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戦う相手を間違えていた。でも、戦う相手が見つかったよ。

うじうじ悩んでツイッターでつぶやいているうちに、何かを発見することがある。そうしたら、嬉しくなって、noteを書く。noteを見返すと、何度も同じことを書いている。ようやくたどりついた場所に言葉のくさびを打ち込んだら、それでもう力尽きて、実行するどころか、またひゅーっと下まで落下してしまう感じ。

でも、何度でも這い上がればいいのだと思う。前に打ち込んだくさびが残っていて、また同じことをやっているなとあきれるけど、そのくさびのおかげで、少しだけ先まで登れるだろうから。

ここ数年の悩みは、小説家を名乗っているけれど、小説家として世の中に認知されていないコンプレックスだ。うじうじしていて、世の人の評価や他の作家と比べることをやめたいのに、やめられなくて、ずっとじたばたしている。

書けるものしか書けないし、それが評価されるかどうかなんて自分にはコントロールできないし、自分の道を行けばいい、なんてnoteも書いたけど、書いただけで力尽きて、ひゅーって落下して、未だにその境地に至れていない。

そもそも、そういう穏やかな気持ちで、悟りきって我が道を行くだけでいいのかという疑問は浮かぶ。負けず嫌いな気持ちとか闘志とか、必要なんじゃないだろうか、そうやって自分を鼓舞して、他の人を見ながら切磋琢磨しないと上達しないのではないか。そんなことを考えて、ブンゲイファイトクラブという場に飛び込んで、書き手としては場内にすら入れなかった。さらに、そこで繰り広げられる戦いを見て完全に自信を失った。どーん。詳細こちら

得るものはたくさんあったけれど、一番大きな気づきがあった。ブンゲイファイトクラブは、「作品同士は本来戦えない」のに、敢えて無理やり戦わせるイベントだ。敢えて戦わせてみることで「やっぱり作品同士は戦えない」ということが実感として強烈に突きつけられた。ジャッジをするとよくわかるし、さらに勝ち抜いたファイターたちの作品を見て、比べられなさに悶えてみると、本当によくわかった。

それぞれに良さがある、という生っちょろいものではない。全員存在していないといけないと思う。誰一人欠けてはいけない。これを書く人はこの人しかない。この人たちの誰かが書かなくなったら、存在していたはずの世界がひとつ、消滅してしまう、と思った。それは準決勝進出者だけでなく、世の中の書き手すべてにそう思った。

うすうす気づいていたけれど、わたしは戦う相手を間違っていた。研究者が自然の秘密のなかのひとつを選んで解き明かそうと奮闘しているように、ライターが言葉によって依頼主の課題を解決しようと工夫するように、文芸を行う人には文芸でしか戦えない、戦うべき相手があるのだと思った。それは他の書き手ではないし、世間からの評価でもないし、読者でもない。

そこまで考えて、つながったことがある。わたしは、今の世の中のシステムにうまく当てはまらないせいで、差別されたり生きづらさを強いられている人たちのことが、ずっと気になっている。どうにかできないかと思っている。たとえば、「お金をどれだけ稼ぐか」が人間の評価を決めるという「物語」を多くの人が信じている。それが快適な人もいるし、苦しんでいる人もいる。お金だけじゃない。世の中には間違った、誰かを都合よく支配するための、不合理で、巨大な物語がまかりとおっている。

わたしが戦いたい相手はこれじゃないか、と思った。戦い方はいろいろあるけど(政治とか活動とか自分の生きざまとか苦しんでいる人を直接支援するとか)、わたしは小説を書くことで戦いたいなと思った。子どものころ、たくさんの小説を読んで、それがワクチンのように、免疫をつけてくれた。みんなと違う生き方でもありだよと言い続けてくれた。だから今ここにいるのだと思う。わたしもそれをしたい。巨大な物語に何の疑問もなく従っている善良な人々の心をぐらぐらさせたい。はじき出されて苦しんでいる人のワクチンになりたい。

もし同じようなことを考えて文芸をやっている人たちがいたら、その人はライバルでも敵でも嫉妬の対象でもなく、同じものと一緒に戦う頼もしい仲間だなと思った。そう考えたら、どれだけすごい才能が目の前に現れても、もう、前のように自己嫌悪に陥らないでいられる気がした。全然違う動機で文芸をやっている人もたくさんいるだろうけれど、その人たちは目指すものが違うからライバルや嫉妬の対象にはならない。比較しないで済みそう。

書きたいものがないことに、ずっと悩んでいた。「書きたいもの」を考えるときに、わたし自身の闇を探さなきゃいけないとか、ものすごい深い考察力が必要だとか思っていた。でも、そういうことではなくて、戦いたい相手を見つければいいだけのことだったのかもしれない。相手がいて初めて、どう戦えばいいのかを考えることができる。闘志というほどではないけど、何かめらめらとエネルギーのようなものも湧いてくる。いや、そんなのんきなことを言っている場合ではない。敵は強大で凶悪で大多数なのだから、闘志くらいはみなぎらせないと、戦う前から負けてしまうな。

書く人には、自分の内側に目が向かう人と、外側に向かう人がいるのだと思う。わたしのように、自分の内側には何もないなと思う人は、戦う相手を見つけたらいいのかもしれない。たぶん、何人ファイターがいても足りないくらい、戦うべき相手は無数に存在する。

ものすごい発見だった。これでわたしは、わたしに、これからも小説を書き続けていていいよと言ってあげられる。

と、くさびを打ったところで、どうせまた、ひゅーって落下して煩悩まみれのコンプレックスまみれの日々を送ることになるのだろうけれど。でも、くさびを見上げながら、また少しずつ登っていこうと思う。

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