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第33話 有言実行とわがまま 2023年9月

 シャンデリアの光る広い会場には丸いテーブルがいくつも配置され、その周囲に人が座っている。それが何だか湖に浮かぶボートのようだと思いながら、果穂はステーキ肉をほおばり、赤ワインを一口飲んだ。そして、同乗者たちの顔をちらりと見る。視界に入るのは知らない顔ばかりで、遭難したような気分だ。隣には幸彦と結季がいて、彼らだけが唯一の知り合いだったが、自分たちの結婚式を控えたふたりは、招待客というより探検隊といった感じで、披露宴の様子を観察している。そして、何かの演出が行われるたびに、こそこそと感想を言い合っている。

「わたしも話に入れてよ」

 と、果穂は試しに幸彦に言ってみた。幸彦は口をとがらす。

「ええー、だって、果穂も招待するのに、今話したらネタバレじゃないか」

「じゃあ、今それを話題にしなければいいじゃない」

「うん、果穂さんが正しい」

 と、結季が言った。そんなことを言われたら、幸彦だけが悪者みたいだ。でも、まあ、ふたりの言うとおりなのかもしれないと思い直した。真ん中に座ってる幸彦が、片方だけとしゃべると、円周に沿って座っている三人は分断されてしまう。

(でも、なんか三人だと、しゃべりにくいんだよなあ……)

 果穂は幸彦にとって姉のような存在だ。ついつい甘えた態度を取ってしまうし、赤ん坊の頃から知られているという弱みがある。一方、婚約者である結季の前では、かっこつけていたい。それぞれとならうまく話せるのに、同時となると、自分が分裂して、どういうふうに話したらいいのかわからなくなる。

「……両手に花だな、幸彦」

 声がして顔を上げると、目の前にモーニングスーツを着た佐々木が立っていた。

「……こんなとこにいていいのかよ。主役なのに」

 と、幸彦はあきれた声を出したが、本当は心底ほっとしていた。気まずい空気が一瞬で塗り替わったからだ。

「新婦はお色直しタイムでいないからな。他のテーブルは俺がいなくても盛り上がってるし。どうしようかと迷ってたら、幸彦が見えた」

 佐々木はあっという間に果穂も結季も巻き込んで、軽やかに会話し始める。佐々木のそういうとこ、すごいなと幸彦は感心したが、口に出すのは恥ずかしかったし、うまく言える気がしなかった。

「どう? 俺たちの結婚式。プランナーの目から見て。遠慮なくどうぞ」

 佐々木が結季に尋ねた。笑っている。

「どうって、パッケージのまんまで、何もアレンジしてないでしょ?」

「当たり! 全部お任せにした」

 結季も笑っている。

「逆に清々しい」

「わたしもそう思った!」

 果穂が同意した。

「わたしたちのときは、思い出の写真とか二人の共同作業ですとか、そういうくさい演出はしたくなくて全部やめたんだけど、そういうベタなのもいいもんだなって、佐々木くんの結婚式見て思った」

「でしょう? ベタにはベタの良さがあるよね」

 三人は楽しそうに笑っているが、幸彦はひとり、ハラハラする。くさいとかベタだとか、そんな感想が会場スタッフの耳に入ったら大変だ。

「でも、佐々木くんだからこそ、パッケージのまんまでいいんだよ」

 結季が言った。

「え、なんで?」

「どんな状況でも、その状況を活かして、目一杯楽しめる人だから」

「あっ、そうかも……」

 と、つぶやいたのは佐々木じゃなく、幸彦だった。結季の言葉が、幸彦が言葉にできずにモヤモヤしていた思いを、すっきり晴らしてくれたからだ。

「それって……」

 幸彦は小さく息を吸い込んだ。照れくさかったけど、これだけはしっかり言わなくては。

「絶対、結婚生活、上手くいくな」

「おお、幸彦。いいこと言うな」

 嬉しそうに笑った佐々木に、幸彦は心の底からおめでとうと思った。思ったけれど、口に出すのを忘れていた。ほかのふたりが口々にお祝いの言葉を述べてるのに、慌てて乗っかった。

「おめでとう。お幸せに」

 テンプレ通りのお祝いの言葉。でも、こんなときはそれでいい。いや、むしろ、それがいいと幸彦は思った。


 披露宴が終わると解散になった。果穂は迎えに来た夫と合流し、ふたりでどこかへ行ってしまった。せっかくおしゃれをしたからデートを楽しむらしい。

 幸彦と結季は、ホテルの紙袋を持ったまま、あちこち歩き回る元気はなかったが、かといって、すぐに家に帰るのも名残り惜しかった。空いているカフェに入った。

「患者さんとゴールインなんて、すごいよねえ」

 結季がしみじみと呟き、

「……有言実行すぎる」

 と、幸彦が続けた。

 一年前、幸彦は佐々木に誘われてブライダルフェアに一緒に来た。今日佐々木が披露宴をしたこのホテルだ。あのときはまだ、佐々木の結婚計画は妄想の産物だったはずだ。気になる相手はいたようだが、付き合ってもなかったし、おそらく思いを告げてもなかっただろう。そして……と、思い出して幸彦は苦笑いする。ホテルの人たちは、佐々木の相手を幸彦だと思っていただろう。

「佐々木くんみたいに、どんなものでも全力で楽しめたら、人生楽なんだろうなあ」

 結季が途方に暮れた声でつぶやいた。

「自分が面倒くさい」

 何だかへこんでいる。幸彦はおろおろする。面倒くさくなんてないよと言うべきか、その面倒くさいところがいいところじゃないかというべきか、迷っているうちに沈黙ができてしまった。

 確かに結季は、「面倒くさい」人なのだと幸彦は思う。納得しないと動けない。結婚式や披露宴の準備で、カップルは喧嘩をしがちだと聞いたことがあるが、結季と幸彦の場合、ふたりの間で喧嘩は起こっていない。幸彦は結季が考えたパーティーなら、お客さんは絶対に楽しんでくれるという自信があるし、自分のこだわりも特になかったから、結季がしたいようにすればいいと考えていた。だけど、結季の「したい」が決まらないのだ。毎日悩みあぐねている。

「原因がわかったかも……」

 結季の曇っていた顔が少し晴れた。幸彦が何を言おうかと迷っている間に、結季はひとりで解決策にたどり着いてしまったらしい。

「わたしの仕事ってお客さんのわがままをかなえる仕事だから、まずはわたしがわがままを言わないといけないんだ。そうじゃないと、仕事できない」

 なるほど、と思いながら幸彦はアイスコーヒーをすすった。

「いつもみんなわがままいっぱい言ってくれるもんなあ。好き勝手言われて大変だと思ってたけど、こうして自分がわがままを言う方になったら全然出てこない。みんな、自分の『やりたいこと』がはっきりしていてすごいなあ」

 結季がため息をついた。幸彦は遠慮がちに

「みんなじゃないよ」

 と、口を挟んだ。

「結季のお客さんがそういう人ばかりなだけで、たぶん、やりたいことがはっきりしてない人の方が多いんじゃないかな」

 俺とか、と付け加えると結季は笑った。結季が笑ってくれると、幸彦はほっとする。

「でも俺にも、わがまま、一個だけあるよ。結季のウェディングドレス姿を見たい」

 これだけは譲れない。何としてでも、ブライダルフェアで見せられた佐々木のウェディングドレス姿の記憶を上書きして消してほしい。

「それかなえてくれたら満足だから、あとは結季のわがままかなえようよ」

「それがわかれば苦労しないんだけどな」

 こんな自分にだってわがままがあるんだから、結季のわがままだって、きっとあるはずだ、と幸彦は考える。どうしてそれが見つからないのか不思議だった。そのとき、幸彦はひらめいた。

「……あっ、わかった。結季のわがまま」

「え、うそ? なになに?」

「結婚式と披露宴をしたくない」

 結季がぽかんとしている。あれ、違ったかな……と首をひねながら、幸彦は続ける。

「ウェディングドレスって動きにくそうだし。あれを着ているとパーティー全体に目を配れないし。なんか、結季っぽくない」

「……そうかも。今日ずっと、花嫁さんを見ながらモヤモヤしてたけど何がモヤモヤするのか、わからなかったんだ。でも、それだ。わたし、ドレス着てたら制約が多くて、テンプレから外れてやれること少ないなってがっかりしたんだ。人任せにするしかない感じがもどかしくて、花嫁役、全然楽しくない……でも」

「いいよ、やめちゃおう。うちの親は別に気にしないし」

「うちも気にしないかも……というか、離婚したお父さんを招待するのか、した場合はどう配置するのかとか、いろいろ悩ましかったんだよね……やめちゃおっか」

 幸彦がうなずくと、あっ、そうだと言って、結季の目が輝いた。プランナーのスイッチが入ったのだ。

「ドレスは着よう。ドレス着て、ゆきくんはタキシード着て、ウェディング写真撮ろう。写真もさ、定番のポーズ以外に、漫画のひとこまみたいな変なやつも撮ってみたい。で、その写真で結婚報告するの。メッセージビデオとか作って、お知らせハガキにQRコード貼って……」

 ようやく結季が生き生きと結婚の話をするようになった。幸彦は嬉しくなる。

「パーティーはパーティーでやりたい。動きやすい服装で気さくなやつ。わたし、全部仕切る」

「いいね、いいね」

 これから先、また結季が自分のわがままを見失うときがきたら見つけてあげよう――そう思いながら、幸彦は何度もうなずいた。


(つづく)

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