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称賛や承認をエネルギーにしたら続かない。続けた人だけがたどり着く場所へ。

小説家の友人馳月基矢さんが楽しそうに活動しているのに影響されて、小説投稿サイトカクヨムに登録した(寒竹のページ)。カクヨムにはたくさんの小説書きがいて毎分何作も投稿されている。投稿しても5分もすれば、新作リストから外れてしまうほどだ。

以前はそういう場がしんどかった。たくさん読まれている作品に嫉妬したり、自分が見てもらえないことにやきもきしたりしていた。だけど今は、書いたり読んだりする人がこれだけいるのか、と頼もしく嬉しく感じた。自分が変わってきていると思った。

これまで小説家として活動することを上下の軸で見ていた。上手い人が勝って売れていくようなイメージ。だから売れてる人の文章を見て、粗探しして、わたしの方が上手いのにムキー!とか思ったりしてた。無数の書き手の分厚い層の、一番上に出なければ、と思いながら小説を書くのはしんどかった。そんなわたしにはカクヨムなんて地獄でしかない。ずっと寄り付かなかった。ランキングとか見たくないし、自分の作品が注目されないのも苦しい。

でも、昨日ふと、もしかして、上下じゃなくて平面の二次元の広がりを考えた方がいいんじゃないかなと思った。ひとりで航海に出るイメージだ。せっせと船を進め続けていたら、いつか、人のいない島にたどりつく。そこにはたぶんライバルはほとんどいない。そして、どんな島にだって、自分ひとりが楽しく仕事をやっていけるくらいの食料はきっとある。

まだ見ぬ島だから、計画的にたどりつくことはできない。できることは、たどりついたときにサバイバルできるよう、腕を磨いていくくらいだ。そして、疲れず、絶望せず、船をこぎ続けられること。それが一番大事なのかもしれないと考えた。

これまでわたしは外部エネルギーに頼って小説を書いていた。人からの称賛や読者の反応、小説家デビューしたというプライドのようなもの。そして、そのエネルギーが足りないから、賞を獲るとか、小説家としてベストセラーになるとかを目指していた。エネルギーを獲得するのに頭がいっぱいで、船を進めることができなかった。

カクヨムのたくさんの作品や、書店やAmazonに並ぶ無数の本たちを眺めながら、わたしが書いたものが選ばれる理由はひとつもないな、と思った。わたしが書いたものを選ぶのは、わたしの知り合いの方々だけだ(感謝!)。上手くて読みやすくて面白い小説をわたしは書けるようになったと思う。でも、上手くて読みやすくて面白い小説は山ほどある。わたしが選ばれる理由がない。

わたしはいま、理系ライターという仕事をしている。研究者にインタビューしたり、技術や科学を分かりやすく伝える記事を書いたりする。需要はたくさんあるけれど、うまくできる人があまりいないから、仕事は途切れない。大学院で研究して、エンタメ小説家になったわたしの経験が、スポンとはまって、役に立っている。でも、狙ってこうなったわけじゃなかった。やりたいことをやっていたら、ある日、島にたどり着いたのだと思った。

この経験を小説家に応用してみようと思った。世間知らずのわたしがいくら「こういう小説家が人気になるだろう」なんて理想像を描いても無駄だし、すでにあるものの中で一番になろうとする努力はきっとむなしい。売れている人はみんな、ひとりで船をこぎ出して自分の島を見つけたのだと思う。商業小説は、誰が一番小説が上手かコンテストではない。オリンピックじゃない。新しい島を求めている。

どうやったらそんな島にたどりつけるか。それは自分がよいと思うものを書き続けることしかないのではないだろうか。小説家の吉村萬壱さんのオンラインセミナーを聞いたときに、自分の足元を掘るしかないとおっしゃっていた。そのときも「そうかー!」と非常に納得したのだけど、自分でもう一度思いついて「やっぱりそうかー!」と思った。掘るのではなく航海のほうがしっくりくる。わたしの中にはないかもしれないけれど、わたしの進む先に、わたしにしか見つけられないものがあるかもしれない。

書き続けるには燃料が必要だ。しかもあてのない航海。いつまでこぎ続ければいいのかわからない。そんなときに、燃料を外部から調達しないといけないのでは行き詰まる。称賛や承認欲求や賞や原稿料やその他もろもろを燃料としていたら、それが途切れたらすぐに苦しくなるし、燃料をもらうために書くようになってしまう。大陸から離れられない。本末転倒だ。

自家発電するべきだ。それも無理なく。外部燃料を必要としないシステムを構築する。そう考えて、わたしは「楽しい」をエネルギーに航海し続けようと思った。誰にもほめられず、お金ももらえないけれど、楽しいと思えること、やりたいと思えること。それなら、自然に続いていく。それだけをやり続けようと思った。楽しいを燃料にして書いて、書いたら楽しいからまた燃料も増える。永久機関だ!わたし天才かな!

長い悪夢から覚めた気がした。子どものとき、ただただ楽しくてお話を作っていた。でも、中学生のときに「小説家になる」と周りに宣言し始めてからは、小説家になるために小説を書いていた。小説家になりさえすれば、使いきれないほどの燃料が手に入ると思っていたけれど、全然そんなことがなかった。次の航海に出る燃料がなくて、もうこんなに長い年月が経ってしまった。

カクヨムに2009年に講談社からデビューした時の作品『月野さんのギター』を掲載しはじめた。noteにも載せているけれど、小説書きばかりの、しかも今リアルタイムで活動しているウェブサイトに掲載すると、とても奇妙な感覚になった。2009年だということがものすごく目立つ。物語にはテープレコーダーが出てくるし、携帯はスマホではなくガラケーだ。きっと本のパッケージだと気にならなくても、毎分ごとに新しい作品が生み出されていくウェブ投稿サイトでは、とても目立つ。タイムスリップした人がいるみたいだ。

いつか再び本にしたいと思っていて、今も大切な作品だけど、何だか急にぞっとした。13年という月日を生々しく感じた。13年、わたしは、小説書きとして、変わっていないのではないかと思った。

楽しいを燃料に書けば、いったいいつになったらたどり着けるのだろうとか、どこへ行ったらいいのだろうとか、どこにもたどり着けないのではないかとか、そんなふうに不安にならなくてもよいはずだ。燃料の補給を気にする必要がないし、楽しい時点で目的は達していて、どこかにたどり着いて、世に認められるかどうかは、おまけだ。生きている間に、そんな島にたどり着けたら、ラッキーなのかもしれない。

と、書きつつ、案外、楽観視している。今は価値観は多様になって、しかもネットを通じて見つけてもらいやすくなっている。まだ見ぬ豊かな島はたくさんあるし、それを見つけたら、良いと思ってくれる人はたくさんいると思っている。


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