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わたしの人生から「自己嫌悪」を永遠に削除する試み

最近、欲望のままにお菓子や外食を食べまくっていて、案の定、せっかく引っ込みかけていたお腹が戻った。お風呂の湯舟につかっていると、段になる。存在を主張する。どうしてさ、ちょっとがんばってもう少し上に移動してお胸の一部になろうかな、とか思わないわけ? 向上心とかないの? なんて楽しく妄想する余裕もなく、ただただ自己嫌悪。どよーん。

でも、ふと気づいたんですよ。太ってるから嫌悪するって、人間としてひどくないですか? もしこれが自己じゃなくて、他人だったら、甘いもの我慢できなくてだらしなくても、嫌悪はしない。しょうがないなーって思って、笑って許す。その人が本当に改善したいと思っていたら、どうしたら食べなくてもご機嫌に過ごせるかなって考えたりするかもしれない。

わたしが他人を嫌悪するときって、どんな相手だろうって考えた。そうしたら「人としてどうしても許せないことをして軽蔑に値する」ような人という答えが出た。そういう人とは、もう、話し合いをしようとも思わない。わかりあえない。わかってもらいたくもない。その人と二度と関わりたくない。

それなのに自分に対しては、結構カジュアルに嫌悪する。自己嫌悪はつらい。つらくてストレスになる。ストレスになるからまた食べる。誰得なのか。しまったーって思って自己嫌悪しちゃうこともある。人間だもの。でも、迷惑かけた相手がいたとして、わたしが自己嫌悪していることは相手の何の得にもならない。改善策を考えて実行するのが相手にとっても自分にとってもいいはずだ。それなのに、自己嫌悪し続けて思考停止したままでいるのは、もしかしたら、すごく甘えている状態なのかもしれない。

自己嫌悪しているわたし、深く反省していて偉い…って無意識で思っていたかもしれない。もしくは、自分に罰を与えているつもりになって酔っていたかもしれない。

自己嫌悪は、わたしの人生に、もう、いらないのではないだろうか。その代わり、他人のことも嫌悪しない。わたしが嫌悪するのは「人としてどうしても許せないことをして軽蔑に値する」ような人くらいだ、って書いたけど、本当はちょっと嘘だ。自己を嫌悪するわたしは、同じ理由で他者のこともカジュアルに嫌悪しているはずだ。太ってるなーとか。やせたいって言いながら甘いもの食べ続けてるなーとか。ファッションセンス悪いなーとか。ふけてるなーとか。かわいくないなーとか。…って、書いててひどい。

わたしは本当にそんなことを他人に思っているのだろうか。イエスなら今すぐやめたいし、ノーなら、他人を受け入れるように、自分を許して嫌悪せずに受け入れたい。

自己嫌悪というのは、実は、自分がしたくてしているんじゃないだろうか。「自己嫌悪したくない」と強く思えば、しないようになれるのではないだろうか。自分の間違いをただすのに、成長するのに、失敗は必要だけど、嫌悪はいらない。

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