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別の名前で小説を書いてみようと思ったら気がついたこと。

文学界新人賞という小説の賞がある。芥川賞直結の(可能性が高い)、わたしにとって、憧れの純文学の賞だ。出してみたいとずっと思っているのだけど、応募規定の「新人の未発表作品に限る」という文言でいつも立ち止まる。わたしは新人じゃないよなあ…。しかし、純文学作家としては新人と言えるのではないか。少なくとも、編集部も審査員も誰一人わたしのことを知らないだろう…などと、無理やり言葉の定義を拡大解釈してみたりするけれども、まあだいぶ苦しい。

もし「新人賞」を受賞したら、わたしを知っている人たちは「モヤッ」とするだろう。わたしを知らない人でも、わたしの経歴やネットに残された数々の跡や、わたしの活動を見れば、モヤッとするだろう。モヤッとされながらデビューしても、最初のスピードに乗らない。わかりづらい。ただでさえ、恋愛小説も大学の非常勤講師も理系ライターも全部乗せでやっている「寒竹泉美」に「純文学の新人」なんて肩書きまでくっついたら、船頭多すぎる船は山に登りすらせずにみんなで喧嘩して内部崩壊まっしぐらですよ。ねえ。

じゃあ、名前を変えて出せばよさそうなもののだけど、それはいつも自分の中で却下される。なぜなら、新しい筆名を作ったとたんにペケッターで告知している自分が目に浮かぶから。別名を作った意味は、作った瞬間に消滅する。

仕事の種類によって名前を変えたほうがいいかどうか問題は、ずっとずっとわたしに付きまとってきた。冷静に客観的に考えたら、ちょっとエッチな女性向けライトノベルや漫画原作をやっている人と、大学や企業の理系研究者の難しい研究内容を記事にしている人が、同一人物であっても、誰も何も得をしない。ちょっと(だいぶ?)面白いだけだ。読者だって迷惑だと思う。ひとつ読んで、面白かったから、似たようなものをもっと読みたいと思ってSNSやHPに来てくれても、瞬時に迷子になってしまうだろう。

それなのに変えたくない。変えたとしても、同一人物であることを黙っていられない。

先日、複数の筆名を持つ漫画家さんや作家さんたちと交流して、何でわたしはこんなに頑なに名前を変えたくないのか、さすがに疑問に思えてきた。なので、もうちょっと真面目にこの問題を考えてみる気になった。

さあ、想像するよ。誰も知らない名前で小説を書く。投稿する。それを黙っている。受賞しても顔を知っている人はわかるだろうけれど、他の多くの人は、それがわたしだと知らないままでいる。

やばい。心細い。怖い。それだけじゃない。そんなのは嫌だと抵抗する自分を見つけた。「寒竹泉美」の評価につながらない!せっかくがんばったのに意味がない!って、わたしが必死で叫んでいる。

そうか、わたしが名前を変えたくなかったのは、すべての「手柄」を「寒竹泉美」に還元したかったからか。寒竹泉美を認めてもらいたくて、褒めてほしくて、それが第一目的だから、何をするにも名前を変えたくなかったのだ。なーんだそれ。自分に盛大にがっかり。

それって、良い作品を作ること/作品を深く届けることと、まったく関係がない。関係がないどころか、ノイズでしかない。良い作品を作って良い状態で届けて楽しんでもらうことが第一目的であるべきなのに。「わたし」が出しゃばって、目的を捻じ曲げている。作品の良さも損なっている。

何やっているのだろう。とても恥ずかしくなった。

誰にも知られずに新しい名前を持つことを、本気で検討してみようと思った。どうなるのかを試してみたい。

わたしはわたしのままこのまま進み続けるけれど、わたしの呪縛から自由になって小説を書く人がもうひとりいてもいいと思った。その人に名前をつけようと考えたら、新しい道が拓けて胸が明るくなるような気がした。

新しい名前がどれだけ活躍しても、わたしには関係ない。ざまあみろ。それでも書くというのなら書いてみろ。書けないのだとしたら、やっぱりわたしはわたしが褒められたいためだけに書いているのだ。まあ、人間だからさ、そういう気持ちもありだと思うし、それが出発点になる貴重な衝動なのだろうけれど。褒められたいだけなら、他の代替行為でも満たされてしまうから、わたしはいつか、小説を書かなくなるだろう。

あ、新人賞は出さないけど。新人じゃないので。プロアマ問わずの賞もあるし。投稿ではない、別の形で活動するのかもしれないし。名前は決めてみた。ぐっと我慢して、今は内緒。いや、当分内緒(笑)


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