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大冒険を終えた人を迎える

今日は大学の卒業制作の諮問で、2年かけて長編小説を書き上げた人たちと、話してきました。大学といっても通信教育部なので、いろいろな年齢のいろいろなバックグラウンドの人がいる。(通信だけど、ときどき大学でリアル授業がある)。

もう何年もやっている仕事で、物語の立ち上がりから一緒に見守ってきて、最終的にいつもわたしの想像を超えた小説ができあがっている。完成された作品を読んでから臨む今日は、大冒険を終えた人にインタビューするような気持ち。

そしていつも、わたしもがんばろう、と思う。自分ががんばって書き続けていないと、ここにいられない。がんばってる人に、何も言えることがない。

書き終えた人たちの表情と作品を見ていると、「なぜ小説を書くのか」なんて疑問は、問うまでもない愚問に思える。言葉とか理屈じゃなくて、彼らを見ていると、無条件に「わたしも小説を書きたい」と思えてくる。

…と言った先からあれですが、わたしは今とても疲れていて、仕事の原稿に取り組むエネルギーが出てこない。金、土と観劇して遊んだのに。今日も原稿からは離れていたのに。なんでよ…と思って、気づいてしまったよ。

わたしにとって「休む」とは、家から出ずにミーティングも取材もせずにひとりで好きに過ごすことなんだって。出かけることと人と話すことでわたしのHP(体力)は減っていくんだよ。そして減ったHPは、人と会わずにひとりで好きに過ごすことでしか回復しないんだよ。

あぶない、あぶない。これに気づかなかったら、「あれだけ遊んだのに仕事する気が起こらないなんて、人としてどうよ?」と落ち込むとこだった。というか、遊びの予定が続いたときはいつもそうやって落ち込んでた…。でも、落ち込まなくていいんだよ。わたしにとっては、休めていないんだから。

毎日出かけたり、毎日人と会ったりするのは(オンライン・電話含む)、無理なんだわー。こんな人間、社会的に生きていけない。ほとんどの仕事できない。執筆業だから、かろうじて何とかなっているんだな…。来年度は講師の仕事も増えるので、そのぶん、ライター業は、定例ミーティングとか、アポ取りとかがない仕事を選んでいこうと思いました。

人に会うと刺激もらったり元気にはなるんだけども。

明日は1日家から出ずに仕事できる!やった!ジムには行こうかな(※ジムでは知り合いもいなく、誰にも認識されないように過ごしているので、ひとりで過ごすのと同じ)。

ひとりで時間を自由に使える日を、週に3日は確保したい。2023年の目標にしよう。もちろんその日は原稿をやっていてもいいわけで。2022年は「週休1日」を目指そうとしていて、先に予定を入れたら「休み」になるかと思って、月に4回くらいは遊びの予定を入れていたけれど、わたしにとってそれは休みにはなっていなかった。週休1日より、原稿やっていてもいいからひとりで好きに過ごす日を週3日。わくわくする目標ができた。

なんだかんだと、結構わたしも面倒くさい人間だなあ。

〈本日の小説活動〉
大学に行って小説の話をしたりした。小説ではなかったもの(アイデアだけだったり、断片だったり、人の目を意識していなかったり、途中だったり)が、小説になっていく過程を目の当たりにするのはとても感動的。どの作品にもフィクションの魔法がかかって飛び立っていった。嬉しかった。これからも書き続けてください。


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