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呪いに満ちたこの世界で、希望をもって世界を想像し創造する、比較的簡単な方法について

明けましておめでとうございます。新年1発目のnoteのタイトルが「呪い」ってどうよ(笑)希望を持つことについての話を書こうとしているので、まあ、目をつむってください。呪いを祓って希望をもたないと、正しく願うことはできないから。

ずっと気になっていた本『小説家になって億を稼ごう』松岡圭佑・著(新潮新書)を読了して元気が出た。この本にはまったく小説を書いたことがない人が小説を書いてデビューして大ヒットしてそのあとも失敗しないようにするためにはどうすればいいかのノウハウが書いてあった。億プレーヤー小説家の紙上体験ができる本。面白かった。いやいや、小説家になるのは、そんなに簡単じゃないし、そもそも小説を書くのだって難しいし・・・って突っ込みながら読んでいたはずなのに、いつの間にかわくわくして「ようし、億を稼ぐ小説家になるぞー!」って思えてしまった。少なくとも可能性はゼロではないと思えた。

ずっとわたしは、小説でお金を稼ぐことはできないと思ってきた。いや、最初からそうだったわけじゃない。デビューして10年くらいして、心が折れて、あきらめて、そう思うようになってしまった。でも、「書いた小説が売れない」というのは、単に給料が低いとかそういう生活レベルだけの話じゃなくて、「読まれない」と思うことだ。たとえライターの仕事で生活ができるようになっても、「読まれない」は解消されていない。わたしはずっと読まれないことに傷つき続けていた。いつの間にか、誰もわたしの小説を読まないし、誰も小説というものを求めていないのではないかとまで思うようになっていた。

しかし実際には億プレーヤーがいる。1000円の本の印税が10%で100円だったとして、10万部売れたら1000万。100万部売れるとまでいかなくても、何年かかけて、10作品書いて、それぞれ10万部売れたら、1億ですよ。そして10万というのは、1億人の日本の人口のうち、たった1000分の1だ。ものすごく極端なことを言うと、1000人知り合いがいて、その中の1人しか読んでいなくても、「読まれていない」と絶望しなくていいわけだ。

大きなお金を稼ぐことは何だか怖い。なぜか悪いことをしているような気持ちになる。でも、別に悪事を働くわけじゃない。むしろ、たくさん売れる小説を書いたら出版社も業界も潤うし、どんどん刊行できるし、自分の好きなことを好きなペースで書けるようになるし、たくさんの読者に出会えるし、世の中に影響を与える。稼いだお金を有効に使って次の作品を充実させることもできる。自分にとっても、仕事相手にとっても、本屋さんにとっても、世の中にとっても、いいことしかない。

たぶん、わたしにはできないから考えたくなくて拒否していて、それが「怖い」という感情になっているのだろうと思った。あと、稼いでいる人へのやっかみがある。他人は自分の心の鏡だ。自分がやっかんでいるから、もし自分が稼ぐ立場になったらやっかまれるだろうと怖くなる。

思い描くことは自由なのに。

最近のわたしは希望を失っている。人々が小説を楽しむ未来を信じることができなくなっている。小説家が小説を書くことだけで暮らしていける世界を信じることができなくなっている。希望を失ったら、未来を思い描くことができない。思い描くことができなければ、実現はできない。

希望をもつことは難しい。世間の慣習や妬みや既得権益に縛られて作られた呪いが「そんなことできるわけがない」と耳元でささやき続けるから。それを振り払って、たったひとりでも希望を抱き続けられる強い人もいる。でも、わたしはそんなことはできない。人の意見に流されるし、自分の力を信じることができない。

でも、平凡なわたしが呪いを振り払って希望をもつ方法を思い出した。だから、このnoteを書いている。

それは、希望をもっている人の近くにいることだ。たとえば高校生のとき。京都大学に行きたいと言ったら、周りの人は誰も真面目に取り合ってくれなかった。当時わたしは広島に住んでいて、一人暮らしに反対していた親も「京大なら一人暮らししていいよ。受かるわけがないから」と言っていた。進学校ではなかったから(※1)、学校の先生も苦笑していた。でも、塾に行き始めたら、進学校から通ってる難関校を目指す人たちがたくさんいて、塾の先生たちもわたしが京大に受かると信じた前提で指導してくれたから、わたしも希望をもてたしその気になれた。まあ、落ちたのですが(笑)※2
※1 今は進学校に変わりました。
※2 大学院で入れました。

結果的には落ちたとしても、あんな大それた希望を抱いて、それを信じてがんばっていなければ、今のわたしはいなかったと思う。もし、塾に行ってなくて、誰もわたしが京大に受かると思ってなくて、そういう中でひとりで希望を抱き続けられたかどうか。自分を信じることができたかどうか。・・・たぶん、出来なかったと思う。

小説家になりたいと言い始めたのは中学1年生のときだった。読んでくれた友人たちはみんな「なれるよ」と言ってくれた。「あなた程度で小説家になるなんて無理だ」と言う人もたくさんいたけど、わたしは耳を貸さなかった。傲慢だったから。でも、おかげで、わたしはずっと「小説家になれる」という希望を抱き続けていた。そこに向かってがんばることができた。

そういう感覚を、なぜか、ずっと、忘れていた。そして人に対しても「できるよ」より「無理だよ」と思うことが多くなってしまっている。

自分のこれまでの経験を振り返って、希望を抱き続ける簡単な方法は、希望を抱いている人の近くにいることなんだと思った。わたしはひとりで希望を抱き続けられるほど強くないから、希望を抱いている人たちのところや、希望を抱き続けられる場所に身を置こうと思った。井の中の蛙というやつでも構わない。わたしが小説家になれると思い続けられたのは、わたしに優しいわたしの友人たちがそう信じていたからだ。もし今の時代のようにネットで広く公開できて、まだ下手なうちに、知らない人たちからたくさん叩かれてしまっていたら、もしかしたら心が折れて、希望を失っていたかもしれない。わたしが京大に行けると思い続けられたのは、小さな塾だったからかもしれない。大きな予備校で自分の実力を思い知っていたら、希望を抱き続けられなかったかもしれない。

2022年は、かよわいヒナのような希望を、温室に入れて、冷たい風から守り、ぬくぬくと、ひいきして、おいしいエサだけ与えて、育てていきたい。小説好きな人たちとたくさん交流して、小説をたくさん読んで、小説をたくさん書いていきたい。実際に小説だけで生活している作家の話を聞いて本を読んで、そんな人は一握りだとあきらめるのではなく、そんな人たちもちゃんといるんだ、と、希望に変えたい。まずは日本の人口の1000分の1人に読まれることから夢見てみようかなと思う。10万部ベストセラーを書こうなんて思うと、途方にくれるけど、1000人のうち1人に刺さる物語なら紡げそうな気が、少し、する。

笑われても馬鹿にされても、希望を持ったものが勝ちだ。いつだって、希望を持った者だけが世界を変えることができる。

今年はどんな年になるだろう。どうぞ今年もよろしくお願いします。

photo:sayoco


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