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ブランディングとは自分じゃない誰かになることなのかもしれない

最近ずっと自分迷子。ライターとしても小説家としても。noteに1つ記事を書いては1つ解脱している感じなんだけど、まだまだ脱ぎきれない呪いが山ほどある。

先日、大学院時代の同級生で研究を続けて教授になった友人の取材に行かせてもらった。研究内容も面白かったし、大学院生のときにどんなことを考えていたのかも初めて知ったし、しばらく会っていない間の人生の試行錯誤も垣間見えて、なんかもう刺激がいっぱいすぎる取材だった。

大学の教授、もしくは研究室の主宰者(教授じゃなくても自分の研究室を持つこともある)をPrincipal Investigator(PI)と呼ぶ。PIになるには、どうすればいいか。会社の中でだんだん出世していくみたいに、頑張っていれば自動的に教授になっていくわけではない(昔はそうだったかもしれない)。PIになるのは雇われ研究者をやめて起業するようなものだ。資金調達をしないといけないし(申請書を書いて国から研究費を獲得したり、企業とコラボをする)、メンバーを雇わなくてはいけないし、何より独自の研究事業を打ち出して、それを飯のタネにして(研究成果をあげて論文を書いて予算を獲得して…)、10年20年、食っていかなくてはいけない。

PIになって生き残るために、みんないろいろ考えている。競争の激しい分野を避けるのか、敢えて飛び込むのか。自分の持っている技術で何ができるのか。技術の革新で熱くなってきた分野はどこか。10年後、20年後もまだわくわく楽しく続けられるのは、いったいどの分野か。予算の獲得のしやすさで選ぶのか、自分の興味で選ぶのか。

同じ年の友人のそんな話を聞いて刺激されて「ああ、わたしは、どう生きよう」と激しく思ったわたしは、帰り道はひたすら小説家という事業を続けるにあたって、他の小説家に埋もれず、もっといえば他のエンタメに埋もれず、10年20年続けられる鉱脈はどこなのかと考えていた。自分の興味と一致して、かつ、やる意義があって、需要もあるかもしれないところ。

ふと、小説は思考実験の場になれると思った。研究者は倫理という超えてはいけない壁がある。でも、小説には壁がない。フィクションという場で何でも実験をすることができる。そこで何が見えるのか。一生、いろんなことを考え続けていたい。世界を知りたい。自分を成長させたい。そんなわたしのニーズにぴたりと合うものが見つかったと思った。わたしは小説という場で現実ではできない思考実験を行おうと思った。そしてそこから得られたものを、届く形にして、誰かと一緒に鑑賞したい。

いつも小説を書き始めたばかりの人に言うことがある。小説はフィクションだから読者は安全な場所にいる。だから、主人公がサファリパークの中をバスで移動していちゃダメだ。バスから出て自分の足で肉食動物の住む世界を歩かせなきゃ。ノンフィクションではできないことをやらなくては。

そのセリフを、そっくりそのまま自分に言いたい、と今強烈に感じている。お前のことじゃーと過去の自分を指さして叫びたい。もっともっと冒険しなくては。怖からず、飛び込まなくては。フィクションの世界では、誰の目も気にしなくていいし、気にしてはダメだ。

……ああ、タイトルにたどりつかない(いつものことだ)。

ブランディングについて、ずいぶん前からずっと考え続けている。考えすぎて、放棄して、また戻ってきた感じなんだけど、昨日ふとNewsPicksのこの番組を見て、ブランディングって自分じゃない誰かになることなのかもしれないと思った。ホストで実業家のローランド氏が理想の人を思い描いて、その人ならこういう時どう振舞うかなと考えて行動すると語っていて、ああそうか、と腑に落ちた。ブランディングとは演じることだ。演じるという言葉が悪ければ、自分の一部分だけを取り出して、拡大して演出して魅せることだ。

たとえば理系ライター集団チーム・パスカルの所属メンバーは、理系の内容だけでなく、別のジャンルの原稿も書けるけれど「理系も書ける」というところを切り出して「理系ライター」と名乗り、チームを作った。そのおかげで、研究所や大学や理系企業からの仕事の依頼が来る。これがブランディングだ。

あれもこれも全部わかってほしいと思うから、わたしは、ブランディングがいつまでもできないのだと思った。でもひとつ尖ったブランディングがあれば、それをきっかけに出会いがあり、他の面も知られていく。

ブランディングを意識してやるかどうかはさておき、あれもこれも全部わかってほしいと万人に思う必要はないな、と、気づいた。そして、またひとつ、呪いが解けた。

撮影:sayoco

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